yamamba’s diary

日朝国交正常化なくして、拉致問題の解決はなし

吉田清治証言と朝日誤報記事をめぐる再論(BLOGOS 2018年2月コメント)

コメント:ケント・ギルバート氏「歴史観が変わった契機は朝日誤報」


◆2018年01月26日 13:33
大久保さん、コメントを有り難う御座います。

>ああ、以前やまんばさんに勧められた今田真人『吉田証言は生きている』(共栄書房)、読みましたよ。
>吉田清治は自分で創作した箇所を認めていますね。
>歴史的な事実も反論できない。

スレ違いなので、この場で議論を再燃させるつもりはありませんが、大久保さんは<その本>を正確に読んでいないのではないか、という私の”疑念”は申し添えておきます。(笑

 

◆2018年02月02日 23:39

ケント・ギルバート氏は、「日本のクオリティペーパー」という評判で、朝日新聞の報道をそのまま信じ、長い間、<従軍慰安婦強制連行は事実としてあった>という「誤報に騙され続けてきた」と仰っているわけですが、彼が、そういう単純で根拠の薄い迷信(朝日は日本のクオリティペーパーw)に依って、報道の真偽を判断される頭の弱い人なら、朝日新聞の2度目の報道にも、つまり<従軍慰安婦強制連行は事実ではなかった>という「誤報」にも、また騙され続ける事になるのではないでしょうか?
早く言えば、自分は底なしのアホなので何度でも騙され続けます、と自己認証しているだけですね。(笑 

 

◆2018年02月03日 15:11

大久保陣太さん
何か突然、こちらのスレッドに飛んでますけど、第三者が読んでいる雰囲気もないので、まあいっか(笑

>取材できた40人がみんな戦後の移住者なら当然そう書きますよね。
>この人たちが現地にいた人ってのは当然の前提でしょ。

しかし、繰り返しになりますが、「当時からいた人」、つまり植民地時代(1943年当時)の住民に聞いたとは書いてませんよねえ。(当時の記憶がある老人だとすると、少なくとも2014年時点で85歳以上の高齢のお年寄りという事になります。)
新聞社が裏取りで、昔の質問である以上「あなたは当時どこに住んでいましたか」位の事を聞いてメモに残していると信じたいですが(普通一々そんな細かい資料まで表の記事にはしないでしょうから)、済州島の場合の特殊な歴史背景を考えれば、その裏取りは絶対必要なものでしょう。

科学的なオーラスヒストリーの「裏取り」であるならば、証人達の記憶力が確かかどうかを確認する為に(1943年の200人の慰安婦狩りよりは数十倍は大事件であるはずの)「1948年の4・3事件」についても聞いた方が良かったのではないでしょうか?老人達が「そんな話は見た事も聞いた事もない」と言えば、歴史の「証人」としては使えないのではないでしょうか?

(島民の9割近くが「共産戦力のシンパ」であったと言われ、彼らが軍・警察・反共右翼勢力から粛清の対象とされ、その大部分が殺されるか島を脱出したとすれば、どういう人達が島に残って、「島の真実」を素直に語り得るのか・・・、少なくとも、朝日新聞の”懐疑”は何も説明されていませんね。)


◆2018年02月03日 15:24

>姜貞淑氏ってのは韓国の慰安婦研究の第一人者。オーラルヒストリー研究にも定評のある人です。その人への取材を「超あいまいな伝聞情報」ですか?
>今田氏はただの頑固親父でしょ。何を見せても難癖つけるだけ。詭弁の論理でね。

それで?韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑氏は、吉田証言の裏付が取れなかった結果、吉田証言は<虚偽だ>と言っているのでしょうか?

今田氏が言っている事はそういう『伝聞情報を幾ら重ねても、体験者の証言を<虚偽>と断定する事は出来ない』という話で、多分その点は、姜貞淑氏がオーラルヒストリーの研究に通じている人であれば同意されると思いますね。
貞淑氏も自分の発言が、朝日新聞の「吉田証言虚偽説」の一つに使われてビックリしているかも知れません。(あくまで私の推測ですが・・・w)

>② 今田氏は息子の発言は71年前に母親が日記をつけていたかどうかの証明にならないって書いています(p.139)。

日記の話では、吉田清治氏の話が二転三転している事は私も認めますが、重要な問題ではありませんね。
要するに彼の公開した「動員命令書」の実物がなければ、証拠が残されていないというだけの話で、批判者が、動員命令書は全くのニセモノであると言うのであれば、他の場所から「大日本労務報国会」の動員命令書の正規の書類を見つけてきて反証すればよいでしょう。

それとも、吉田清治氏が職員として働いていたという「大日本労務報国会」なる組織さえ、まぼろしの組織で実在せず、朝鮮人労務徴用・動員などの事実も一切なかった、と主張するのでしょうか?

 

◆2018年02月03日 16:48

>そっちには疑問をなく、息子の証言は信じない?
>息子の証言で、その他の部分は息子は父親を信じたいって言っているのにね。
>どっちに信憑性があると思います?

要するに、これは「わらぶき屋根」は「かわらぶき屋根だった」という「反証」と一緒で、全くつまらない「証拠」ですね。息子さんと親父さんの記憶違いのどっちが正しいか、なんてほとんど証明不可能でしょう。
(その結婚の日付との矛盾の話は、秦郁彦氏が持ち出した「学説」で、朝日新聞の新情報というわけではないでしょう。)
こういう重箱の隅を突っついた様な「否定の論証」は、南京虐殺の否定説でも、ホロコーストの否定説でも沢山使われています。

>今田氏は、なんかそれらしい言葉を使えば批判したつもりかも知れないけど、まったく批判になっていない。
>外村氏は朝鮮人強制連行研究のマジメな研究者。永井氏は慰安婦の国家関与を主張している教授。いわばレフトサイドの人たち。
>吉見義明氏だけでなく、その人たちまで吉田清治の証言は間違っていると言っている。

大久保さんは、大学の教授の権威(おまけに左翼系)を余りにも易々と信用し過ぎていますね。(笑
例えば、外村大教授は

>「労務報国会」は「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くだろうことも考えずらい」

・・・と言っているわけですが、どうして考えずらいのでしょうか?

非常時の戦争がいよいよ苛烈を極め、全ての国策が軍事優先で、行政機関が全て戦争動員に駆り立てられていた1943~1945年様な時期に、平時の法律上の行政指揮命令系統がそのまま守られたであろうなどと考える方が不自然です。
吉田清治氏は、西部軍→山口県知事→労務報国会の系列で動員命令が来たと証言しているわけですが、「超法規的」であったかどうかはとも角、労務報国会が警察の外郭団体と考えれば、別に奇妙な話ではないと思います。

 

◆2018年02月03日 17:29

>吉見義明氏だけでなく、その人たちまで吉田清治の証言は間違っていると言っている。

大久保さんの早とちりは何度も指摘していますが、全然変わりませんね。

「間違っている」って、何が間違っているのでしょうか?

吉田清治氏は大日本労務報国会などという組織に属した事も無ければ、朝鮮人労務動員の仕事にも関わった事は無い、全部捏造である。そもそも朝鮮人徴用計画-強制連行自体などは無かったのであり、真っ赤なウソである・・こう言っているのでしょうか?

慰安婦問題の専門家でもある吉見教授は、本当に吉田清治氏の慰安婦徴用の証言は「間違っている(虚偽だ)」と言っているのでしょうか?

従軍慰安婦」を巡る30のウソと真実』(大月書店)p26~27

>「そこで私たちは、1993年5月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するように勧めた。また誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。(中略) これに対して、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
そこで、私たちは吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。証言として肝心な点になる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」に関する吉田証言を事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募に関するみずからの体験を伝聞と区別して正確に証言されるように望みたい。

しかし、だからといって朝鮮で強制連行がなかったと言えないことは7で述べた。」

 つまり吉田証言には不正確な内容が含まれると判断されるので歴史的史料としては採用できない、と言っているだけです。本来なら、吉見氏は自分の発言が、(朝日新聞も含めて)あたかも強制連行否定説の一部として歪曲して利用されている事に厳重に抗議すべきです。

 

◆2018年02月03日 18:48
とっても長くなりましたが、一つの結論です。

朝日が吉田証言虚偽説として挙げている主な証拠(私の数えでは8つ)は、単なる「怪しい」「確かでではない」というこまかい印象操作の積み上げて「有罪説」を成り立たせるものです。

私は、吉田清治氏の証言(手記)でもっとも重要な点は、彼が戦時中に疑いもなく、大日本帝国労務動員機関の末端組織、つまり「大日本労務報国会」の職員として働いており、そこが日本における朝鮮人労務調達の最前線基地とも言える場所で、末端機関の職員でなければ知り得ない朝鮮人徴用の<秘密の情報>が彼の証言によって暴露されている、という点です。

多くの人達は、吉田清治氏の2冊の著書(手記)を読まず、秦郁彦氏や朝日新聞が部分に引用したもの、さらに薄めら歪曲されたインターネットの伝聞情報だけを見て、吉田氏の証言を全く断片的に把握しているに過ぎません。

しかし、彼の証言の全体をみれば、当時の日本の戦時動員体制、とりわけ朝鮮人徴用の中枢組織にいたものでなければ知り得ない情報の多くが含まれ(本当の末端は民間のヤクザ系の手配師で、警察行政がそれを束ねて運用していた様な事実)、<概念>としての<国家の暴力的支配システム>が浮かび上がります。
そしてこの全体像が見えないと、また逆に、一つ一つの末端組織で行われる異常な暴力的事例が一般の平和的市民の頭では理解できないのです。
多くの人は単に吉田証言の内、<済州島で行われた慰安婦狩り>の証言だけを見ているから、「現実にはありそうにない異常な話」に見えるのです。
大日本帝国による朝鮮の植民地支配、そして国内への強制連行による残虐な朝鮮人支配の大規模なシステムがイメージとして分からなければ、細部の事実は理解不能なのです。

いわば、ズームを引いて視野を広げ森全体を見なければ1本1本の木の実態が見えないようなものです。

◆2018年02月04日 22:51

大久保陣太さん
>今度は私を歴史修正主義者といっしょにする詭弁ですか。
>カテゴリーを変えるやり方ですね。

先に一方的に<カテゴリ-を変えるやり方>をしたのは、あなたの方ですよ。
私が証拠を積み重ねる話をしている時に、その証拠に関する反論ではなく、最終的に「UFOを信じるか信じないか」のレベルにあなたが話を突然変えたから、皮肉を言わせてもらったまでです。

>やまんばさんにとって吉田清治の証言がウソだと認めることは、歴史修正主義者や「ネトウヨ」連中に対する敗北にでもなるんですか。
>私は事実に基づいて歴史を認識したいだけなんです。

そうですね。私もまずは単純にその歴史的真実を知りたいだけです。

仮に吉田清治の強制連行の証言がウソだとすれば、戦地にいた朝鮮人慰安婦のかなりの数の女性達は、一体どの様にその地に赴いたのでしょうか?
やっぱり民間の女衒が、強制性のない「自由募集」で売春婦を集めて、戦地に一緒に連れて行っただけなのでしょうか?そんな生温い方法で、一体素人の女性を慰安婦として、どれだけ集められたのでしょうか?

吉田清治氏は、1943年~45年に「大日本労務報国会」という組織で働いて、もっぱら朝鮮人徴用の仕事をしていたと証言しているわけですが(女子の慰安婦動員は、あくまでその仕事の一部に過ぎません)、彼の証言が全部嘘っぱちなら、一体「労務報国会」(その会長はあの吉田茂で当時貴族院議員だったらしい)何の仕事をしていたと言うのでしょうか?

それとも、そんな組織自体が吉田氏の捏造で、まぼろしだったのでしょうか?では、朝鮮人労務動員は当時の日本で、どの様な「指揮系統」で行われたと思いますか?
日本軍による慰安婦の調達と、その労務動員(女子挺身隊という様な名目)は、全く無関係だったと主張しますか?


◆2018年02月04日 23:12

朝日新聞がやった様に)大久保さんが、吉田証言「だけ」を、特に済州島に関する証言「だけ」を、その証言の矛盾や証拠不十分を根拠に否定する事ができたとしても(そのレベルでも失敗していると思いますけど)、そうすると歴史の客観的事実関係で説明のできない問題が多く生じるのです。

官憲や兵士に拉致されて連れ去られたという慰安婦の被害者証言は、他にもあります。
だから、吉見義明教授は、吉田証言を使わなくても慰安婦の強制連行の事実は立証できる、と言っているわけですね。
大久保さんは、これらの人の証言も全部否定し、とに角強制連行は無かった、全部自由募集で、十分な数の慰安婦が調達されたと主張するのでしょうか?

>リンクの姜貞淑の論文は現在の韓国の慰安婦研究の到達点を表していると思います。

↓この到達点の件でしょうか?

><植民地とした朝鮮では、徴用という課題を抱えた日帝が公然と奴隷狩りをするかのごとく軍「慰安婦」を動員することが一般的であっただろうとは考え難い。>

これはこれで特に文法的には間違った事を言っていないと思います。
しかし、論理的には<一般的事実>では無いから、<特殊的・希少的な事実>も無かった、とは言えないのではないですか?

吉田清治氏自身もその手記の中で、「慰安婦はみな暴力的手段で狩り出された」などという事実を<一般論>として書いているわけではありませんね。

ただ、彼が労務報国会で労務動員の仕事をしていた時期(1943年~45年)は、既に日本人女性を中心とした職業的娼婦が払底し、従来の単純な「募集」形式(主にはぜげんなどの民間の手配師を介して)ではなく、いわば「強制的に狩り出す」様な乱暴な手法をとらなければ、慰安婦の調達が非常に困難になった<特殊>な時期に重なっていた考えられるのです。

 

 ◆2018年02月04日 23:48

外地の日本軍の兵員(陸軍)は、1940年当時110万人程度だったものが、1945年の終戦直前には250万人近くにもなり2・5倍にも膨らんでいたのです。そして女性の多くも国家総動員体制で工場の労働力として既に動員されていました。
こうした状況の中で、「自由募集」なんて呑気な方法で、その需要に応じる十分な数の慰安婦が<一般的に>調達できたと考える方が牧歌的過ぎるのではないでしょうか?

吉田清治氏は、赤旗記者のインタビューの中で、こうした<特殊な時代背景>くどいほど何度も説明しています。戦後の平和的市民にはこの点が理解しにくいからです。

 

私の理解はこうです。
要するに、さまざまな戦争の進捗状況の中で、慰安婦調達の実態も変わり、奴隷的環境が次第に強まって行っただろう、と推測できます。だから、慰安婦問題を総括的に捉えるには、「一般論」として事態を単純化(一部だけを切り取る)するのではなく、そうした個別の事例を含めて総合的に判断する必要があるだろう、という事です。

例えば、『帝国の慰安婦』を書いた朴裕河女史がその著書の中で、朝鮮人慰安婦の中にも、自ら志願し「帝国の戦争」に協力しようとした「愛国女子」もいた事実を指摘している。
しかし、彼女がそうした事実を(一部の個別的事実としてあり得たとしても)<一般化>して語ってしまえば、それは客観的事実に反し、反学問的で、政治的イデオロギーに偏した意見と見なされ、当然韓国内でバッシングを避けられないでしょう。
丁度、吉田清治氏が日本国内で総バッシングを受けたと正反対の事が起きます。

ですから、歴史の客観的事実を正確に把握するには、一般論だけでなく、特殊論だけでなく、その総合的分析が必要になります。まあ、科学的、学問的な方法論からすれば当たり前の話ですが、なかなかこれが容易ではないのです。
大久保さんと私の意見が何時までも平行線を辿っている様に・・(笑

----この稿終了---