yamamba’s diary

日朝国交正常化なくして、拉致問題の解決はなし

吉田清治証言関連資料、今田真人氏のツイート

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◆2019/10/29 午後0:34 (火)

今田さん、こんにちは。
この度、私のTwitrerのプロフィールを更新し、同時にhatenaブログを立ち上げ、旧BLOGOS論文を公開する事に致しました。以前今田さんに紹介した文章を一部含みますが、2014年~2018年までの私の「吉田清治証言支持」コメントの全体を収録しました。何かのご参考にして戴ければ幸いです。

私の場合、今田さんの様な実証的な反論の真似ができないので(資料も不足している)、どちらかと云えばウソを垂れ流している右翼の杜撰な論理構造(南京大虐殺を否定するトリッキーな論理とほとんど同じ)を暴露する、という手法を採用しています。

 

◆2019/10/29 午後10:24 (火)
今田真人(経済ジャーナリスト・脱原発

やまんばさま。吉田証言関連のブログの論文をいくつか拝見しました。すばらしい。私がまだ、HP上でも本でも秦郁彦らに反論ができていない早い段階で、これだけの吉田証言否定論に論理的に反論されていたなんて、本当に頭が下がります。私のツイートでも、1つずつ紹介していきたいと思います。心強いかぎりです。ありがとうございました。

 

◆2019/10/30 午後1:51(水)

今田さま、過分なお褒めの言葉を戴き恐縮ですww

吉田清治証言虚偽説の最大の「ネタ本」である秦郁彦氏の著書と証言の怪しさ・デタラメさに関しては、今田氏自身も、2015年4月10日付け初版の『吉田証言は生きている』第4章「秦郁彦慰安婦と戦場の性」の検証」の項で詳しく書かれていて、ほぼ私と同一の認識が示されていますね。

つまり、私は、2014年8月の朝日新聞のデマ記事に触発されて、緊急にブログサイト上で素人的解釈として「仮説」(私見)を書き(私の仮説に同意したブログ会員はゼロでした)、今田氏の本によって、その私見の正しさが改めて実証された形になりました。

秦郁彦氏の著書をきちんと普通に読めば、【秦教授による1992年3月の済州島の現地調査】なるものが、ほとんど何の中身もなく、科学的「学術調査」の名に値しない内容のものであるはすぐに分かります。

今田さん自身も暴露しておりますが、簡単にこの【現地調査】なるものをお浚いしますと

済州島の貝ボタン工場のあった城山浦に行って、そこの島民(工場の元組合員など5人の老人)の話を聞いて、『男子の徴用はあったが、慰安婦狩りはなかったらしい事を確認した。』

②公立図書館で地元の『済州新聞』の許栄善記者が書いた記事(1989年8月14日付)を見つけ、『吉田著の著述の信憑性に強く疑問を投げかけ』ている記事を見つけた。(思わぬ拾いものだった。)
現地でこの元記者許女史に会うことができて、彼女から何が目的でこんな作り話を書くのでしょうねと聞かれ、答えに窮した。

 この「許栄善記者が書いた記事」の中に
②' 城山浦の住民のチョン・オクタンを名乗る85歳の女性が、「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

②" 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な産物と思われる」と憤慨している。

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たった、これだけの話ですね。しかも①(実際の現地住民の聞き取り調査)を除けば、②はただの伝聞情報です。この伝聞情報も新聞記事からの引用なのに、あたかも秦郁彦氏本人が直接関係者から聞き取ったかの様な文章の並びになっている。)

この程度の「証拠」で、「吉田清治証言は真っ赤なウソで、慰安婦の強制連行などの事実は全く無かった」・・・という巨大な歴史的証拠が確定(学会からの反論なし)してしまうわけですからですから、日本のマスコミと日本史学の低水準は恐るべきものだと言わざるを得ません。(笑

(A)~(D)は二つの著書の対応パラグラフ。(時系列が入れ替わっている。)
本来は先に書かれた『昭和史の謎を追う』(1993年)の原稿が現地調査の「一次史料」とみなされるべきものであるから、如何に本人自身の著書とはいえ、それを後に書き換えることは史料自体の改竄的な意味を持つ。
赤文字下線部分が、それに当たるが、誤字脱字の訂正という様なものではなく、明らかに異なる文脈への書き換えが行われている。
青文字箇所の(C1)~(C3)は、許栄善記者が『済州新聞』に書いた記事を著者(秦)が引用(孫引き)したものである。(この部分の変更はほぼ無い。)
しかし、何気なくそのまま読むと、この引用箇所はあたかも秦氏自身が、郷土史家や85歳のお婆さんから「直接聞き取り」を行ったかのように読めてしまう。

結局、秦郁彦氏の「現地調査」というのは、本文でも解説したが、城山浦で老人クラブの5人の元組合員から「確認」を取った事と(この確認の中身もかなり曖昧)、済民新聞の許栄善氏にあって、吉田証言についての否定的な意見を聞いた・・というだけの簡単な話である。もし済州島まで足を運んで、図書館で『済州新聞』の許栄善女史の記事という「思わぬ拾いもの」を見つけなかったら、それこそ、秦郁彦氏の科学的現地調査の成果は、ほとんど無惨にゼロに近かった事になる。(笑


なお、『昭和史の謎を追う(下)』「第41章従軍慰安婦たちの春秋(上)」で、上記したパラグラフは、次の文章に繋がっているが、『慰安婦と戦場の性』の方では全面的にカットされている。それは次の様な文章である。

もちろん済州島での事件が無根だとしても、吉田式慰安婦狩りがなかった証明にならないが、今のところ訴訟の原告を含め一〇〇人を越える被害者側から該当する申告がないのも事実である。彼女達が「連行」された事情は、各人各様で、これ以上の詰めは韓国政府の職権調査によるしかない。
ともあれ、日本統治時代に数万にのぼる朝鮮人慰安婦たちが、故郷を離れて辛酸をなめたのも厳然たる事実であってみれば、なんらかの形での「救済」を考慮する必要があろう。P337(『正論』一九九二年六月号)

即ち、秦氏自身も今回の「現地調査」程度では、「吉田清治証言はウソである」という決定的な証拠にはならないと考えていた節があり、まさかこの程度の「成果報告」が、【吉田清治は稀代の大嘘吐き】、【吉田清治のいう強制連行は全くの虚言】【慰安婦強制連行は朝日のでっち上げ】等々・・・というその後の<社会的大反響>を引き起こす話題の素材になるとは、夢にも思わなかっただろうから、この締めの所で書かれた「謙虚な文章」は、彼の当時の「素直な感想」が吐露されたとみるのが自然だろう。

(結局、この大ヒットは秦氏自身の「現地調査」の成果というよりは、ほとんどは、産経新聞が「成果」の中身を膨らました一大虚偽キャンペーンの戦果ー後に産経新聞がお得意とする「歴史戦」ーに過ぎなかったわけだ。)