yamamba’s diary

日朝国交正常化なくして、拉致問題の解決はなし

”ウクライナ危機”は十分に予測され、そして警告は黙殺された

ノーム・チョムスキー『誰が世界を支配しているのか?

双葉社 2018年2月25日発行

第23章 人類の支配者
 次は東欧だ。NATOとロシアの境界には危機がくすぶっている。これは小さなことではない。英国の政治学者リチャード・サクワは、この地域についての論文で次のように書く。

「二〇〇八年のロシア・グルジア(現ジョージア)戦争は、最初の〝NATO拡大を阻止するための戦争″だった。
二〇一四年のウクライナ危機が二番目だ。三番目が起これば、人類が生き延びられるかどうかはわからない」

 まったく妥当な意見だ。その一方で、欧米はNATO拡大を艮いこととみている。だが、ロシアや南半球の発展途上諸国(グローバル・サウス)の意見は違うし、欧米にも、NATO拡大に反対する著名人もいる。
 政治学ジョージ・ケナンは早い段階で、NATO拡大は 「悲劇的なあやまち」だと警告した。彼が、米国のベテラン政治家たちと連名でホワイトハウスに送った公開書簡でも「歴史的な政策ミス」だとしている。
 現在の危機は、一九九一年の冷戦終結ソ連崩壊に端を発している。当時のユーラシア大陸には、新しい安全保障体制と政治経済について、二つの対照的な展望があった。サクワの言う「拡大ヨーロッパ(Wider Europe)」と「広域ヨーロッパ(Greator  Europe)」だ。

「EU中心の”拡大ヨーロッパ″は、欧州・大西洋地域の安全保障・政治共同体と重なる。もう一方の″広域ヨーロッパ″には、ヨーロッパ大陸という発想で、大西洋側のリスボンから極東のウラジオストクまでを含む。″広域ヨーロッパ″にはブリュッセル、モスクワ、アンカラなど複数の中心地があり、欧州を悩ませ続けてきた分裂を克服するのを共通の目標とする」

 ソ連の指導者だったミハイル・ゴルバチョフは、「広域ヨーロッパ」の提唱者だった。この概念はド・ゴール主義など、ヨーロッパにもルーツがある。
だが、ソ連が一九九〇年代の破壊的な市場改革で崩壊すると、このビジョンはカを失った。その後、ロシアがウラジミール・プーチンの下で経済が回復し、世界の舞台で居場所を探しはじめると、「広域ヨーロッパ」のビジョンも復活した。プーチンは盟友ドミトリー・メドヴュージェフとともに、「"広域ヨーロッパ"を地政学的に統一し、真の”戦略的パートナーシップ〟を生み出そう」と繰り返し呼びかけている。

 これらの構想は「軽蔑で応じられた」とサクワは書く。「こっそり”広域ロシア〟を構築するための偽装」にすぎず、北米と西欧の間に「くさびを打ち込む」試みとみなされたのだ。そうした懸念は、もとをたどれば冷戦時代にまでさかのぼる。ヨーロッパが米国からもソ連からも独立した「第三の勢力」になり、たとえば、西ドイツ首相ヴイリー・ブラントの東方外交などのように、ソ連とのつながりを強めていくのではないかという懸念だ。
 
 ソ連が崩壊したとき欧米は勝ち誇った。それは資本主義的民主主義の最終的勝利であり、「歴史の終わだ」と称えられた。ロシアはまるで第一大戦前の状態、つまり、欧米の経済植民地同然だった頃に戻れと指示されているようだった。冷戦終結後すぐにNATO拡大が始まったが、これはゴルバチョフと交わした「統一ドイツのNATO加盟を容認するが、その代わりNATO軍は”一インチたりとも東へ″動かない」という約束を破る暴挙だった。
 
 まもなくNATOはドイツを超え、ロシア国境へ進み始めた。NATOの使命はグローバルなエネルギー・システム、海上交通路、パイプラインといった「きわめて重要なインフラ」を守ることに変更され、活動範囲は世界に広がった。さらに「保護するま責任」(国家が国民を保護する責任を果たせない場合は、国際社会がその責任を負う)という方針に基づいて、NATOは介入勢力として米軍の指揮下で働くことになるかもしれない。ただし、このNATOの「保護する責任」は欧米による<改訂版>であり、国連による<公式版>とは大きく異なる。

 ロシアが特に懸念するのは、NATOウクライナまで拡大する計画だ。事実、二〇〇八年四月のブカレストにおけるNATO会議では、「NATOウクライナグルジアの、ヨーロッパ・大西洋への関心を歓迎する。われわれは今日、この二国がNATOのメンバーとなることに同意した」 と、明確にグルジアウクライナNATO加盟が約束されている。 さらに、ウクライナで二〇〇四年に西側寄りの候補者が勝利した「オレンジ革命」 を受けて、米国務省のダニエル・フリードは急きょ現地に入り、「米国は、ウクライナのヨーロッパ・大西洋への関心を支援する」と強調したことがウイキリークスのレポートで判明している。

 このロシアの懸念は容易に理解できる。国際関係論の学者ジョン・ミアシャイマーは 『フォーリン・アフェアーズ』誌で、次のように説明している。

ウクライナをめぐる現在の危機のもとは、NATO拡大と、ウクライナをモスクワの影響圏から外し、西側に取り込むというワシントンの決意にある。プーチンはこれを″ロシアの核心的利益への脅威″ とみなしている」

 ミアシャイマーは「誰がプーチンを責められるだろう?」と問い、こう指摘する。
「米政府は、たとえモスクワの立場が気に入らなくても、その裏にある論理は理解すべきだ」
これは難しくはない。周知のとおり、「米国は、遠方の大国が西半球で軍事力を発揮するのを許さない。米国の国境周辺ではなおさらだ」とミアシャイマーは言うが、実のところ、米国の態度はもっと強硬だ。
「米国が西半球を支配する」という(実現はしなかったが……)モンロー主義に対する「反抗」を米国は容認しない。仮に反抗しようものなら、キューバのように「地上最大の恐怖」(『リア王』の一節)と厳しい禁輸措置の対象になる。

たとえば、ラテンアメリカ諸国がワルシャワ条約機構のメンバーになり、メキシコとカナダまで参加予定だったら、米国がどう反応するかは想像できる。わずかな兆候があっただけでも、その試みはCIA用語でいう<「後顧の憂い無く終了」>させられただろう。
中国の場合と同じで、プーチンの行動や動機が気に入らなくても、その裏にある論理を理解することはできる。彼らを罵倒するよりも。彼らの論理を理解することが大事だ。これは非常に重要だ。なぜなら、人類の”生き残り”が掛かっているのだから。(P351-355)

 

ライナー・マウスフェルト 『羊たちの沈黙は、なぜ続くのか?』
日曜社 2022年11月30日発行

アメリカにとって、ロシアは以前から喉から手が出るほど欲しい対象であり、エリツィン大統領時代(注53)には経済的にも政治的にも前進が大いに期待された。しかし、この(アメリカの)希望は、エリツィンの後継者となったプーチンによって潰えたため、アメリカは別の方法を使ってロシアの取り込みを試みるしかなかった。その方法の一つが、「平和を守り」、「ロシアの侵略」を防ぐために、軍事基地の数を増やすことだった。
すでに一九五七年の時点で、作家のアルノ・シュミットが、「誰が誰を包囲しているのか?!」と問いかけている。
その答えは、今も昔も、世界地図に目を落とすだけでたやすく得ることができる。
「……世界地図を眺望だけでいい。なぜなら、バミューダにも、キューバにも、メキシコ、アラスカ、カナダ、グリーンランドにも、いくら探しても恐ろしいソビエトの基地を見つけることはできないが、ノルウェーに始まり、ドイツ、ギリシャ、トルコ、パキスタン、さらには千島列島にまで、アメリカの拠点を見つけることができるのである。
しかし、西ドイツ国民の「絶対多数」は西部劇さながらのこの方向性を望んでいたのだから、仕方のない事だ。だがもし再び過去の悲劇が起こっても、誰も文句は言えない!(P103)

(注53)1991年から1999年までロシアの初代大統領だったボリス・エリツィンは国を開放し、その結果、略奪的資本主義ならびに少数の特権者や西側企業による略奪に道を開いた。それがアメリカとEUが考える「民主化」の考えと完全に一致した「改革」だった。1996年のエリツィン再選はアメリカが導いた結果だ。)

「慈悲深い帝団」というイデオロギー

最初の例として、「慈悲深い帝国」という考え方を挙げることができる。帝国の行為は自分のためではなく、慈悲心から出るものである、という意味だ。歴史を紐解いてみれば、そのような考えを持つのはまったくの不条理であることがすぐにわかるが、プロパガンダを徹底的に行えば、不条理さえも当然のことのように見せられるのである。
第二次世界大戦以後、アメリカ合衆国は「慈悲深い帝国」であり「情け深い覇権国家である」というイメージは、ヨーロッパ、特にドイツで、意図的かつ組織的な方法で国民の意識に深く刷り込まれてきた。このイデオロギーは戦略を駆使して普及され、その際に中心的な役割を担ってきたのが【外交問題評議会】(CFR=Comference of Foreig Relations)である。CFRは世界で最も影響力の強いシンクタンクで、アメリカの外交戦略の策定において極めて重要な役割を果たしてきた。

一九四九年、CFRは「インフォメーション・プロパガンダ・カルチャー計画」の実行の必要性を説いた。それを使って「外国の国民をアメリカの動機は善艮であると説得する」のである。
その一年後、ヨーロッパ、特にドイツで、「文化自由会議(CCF)」が設立され、CFRの目論見に合わせて世論形成を目的とした活動を始めた。
 CIAが資金も口も出したCCFは、一九五〇年代から一九七〇年代にかけて、ジャーナリスト、知識人、学者、政治家、諜報部員、経済界の大物など、幅広いネットワークを活用してヨーロッパの人々に「アメリカ的な生活」とアメリカの世界観を浸透させながら、アメリカ合衆団の「慈悲深さ」を知らしめることを目的としたプロパガンダ・キャンペーンの中核的機関であった。イギリス人ジャーナリストのフランシス・ストーナー・サンダースはCCFについて論じた著書(二〇〇一年)でこう書いている。
 「本人たちが好んでそうしていたのか、あるいは意識していたのかどうかという問題は別にして、戦後のヨーロッパでは、ほぼすべての作家、詩人、芸術家、歴史家、科学者、批評家がこの秘密プロジェクトと何らかの形で関わっていた。アメリカのスパイネットワークは二〇年以上にわたって誰からも邪魔されず、それどころか発見さえもされずに、多額の助成金を得ながら高度に洗練された文化的戦闘を繰り広げてきたのである。それも、言論の自由の名を借りて」

 ソ連の崩壊により、「反共産主義闘争」というイデオロギー帝国主義的な動機を隠すカがなくなったため、アメリカの道徳的理想を強調するプロパガンダを、帝国主義的動機の隠れ蓑として利用する必要が生じた。アメリカは一方では、自らのことを帝国と位置づけ、同国の新保守主義の第一人者であるロバート・ケーガンの言葉を借りるなら、「ローマ帝国以来、どの国家も持っていなかったほど大きなカ」を有する唯一のグローバルな超大国であると宣言した。(P95-96)

オリバー・ストーン オン プーチン

文藝春秋社 2018年1月15日発行

【追い込まれたのは我々だった】

マリン・カッサ『コールダー・ウォー』
2014年11月米国出版、翻訳版2015年草思社刊行

 ロシア系住民が多数派のクリミアがロシア帰属を決めたことに誰も驚きはしなかった。クリミアがロシアに帰属しないのであれば、アメリカが糸を引くクーデターを受け入れなくてはならなかった。クリミアのロシア系住民は、キエフの暫定政権にロシア系住民を嫌う勢力が入っていることを知っていた。ファシズムに郷愁を持つ連中が紛れ込んでいることもわかっていた。キエフではロシア系市民が殺されていた。クリミアのロシア系住民にとってロシア帰属を決めることは難しい決断ではなかったのである。
 
 クリミアのロシア帰属決走プロセスは迅速でかつ平和的であった。キエフでの革命には流血があったが、クリミアでは一滴の血も流れていない。西側諸国はロシアへの帰属決定プロセスを強く非難したが、プーチンは一顧だにしない。クリミアはロシアに帰属すべきであるというプーチンの強い信念の前に、西側の抗議も制裁もロシア孤立化政策もその効果は限定的だ。
 
 これからウクライナがどうなっていくのかは誰にもわからない。
おそらく相当に醜いことになるだろう。アメリカとEUの支援を受けて親西側政権ができたものの、新指導部はすでに紛争の種をまき散らしている。ドネッィクとドニプロペトロウシク両地区の知事に新興財閥に属する人物を任命した。両地区ともウクライナからの分離活動が活発な土地だ。ロシアへの帰属を望む勢力が強い。彼らが、クリミアのように、それを望めばプーチンも積極的歓迎とは言わないまでも迎え入れざるを得ないだろう。ただ経済的困難を抱える多くの人口を取り込むことには消極的である。
 ウクライナへの軍事介入の可能性についてはプーチンは否定している〔訳注‥原書執筆2014年時点〕。東部ウクライナでのロシア系住民の安全が脅かされることにならなければ軍事介入はないだろう。

 アメリカが今のウクライナの混沌を生んだことははっきりしているが、この紛争が悪化することを望む者はいない。ただ、アメリカが、これからもプーチンを苛立たせる外交を続ければ、プーチンのペトロダラー体制打破の動きをよりいっそう早めるだろうことは十分にあり得ることだ。

草思社文庫版 P128-129)

マイケル・ハドソン『超帝国主義国家 アメリカの内幕』

1972年米国出版 翻訳版2002年5月刊 徳間書店

「日本版への序文」(2002年加筆)
アメリカの経済的利益は、外国からの制約なしにさらに債務を積み重ねていくことができるような世界貨幣秩序を維持し続けることにある。この目的の追求のため、ドルとは別の地域的通貨決済ブロックを作ろうとするヨーロッパや日本の試みは反対を受け、アルゼンチンのように自国経済をドル化しようとする国々は優遇された。

一九七〇年代初めに植えつけられた種子の第二の開花は、IMF世界銀行を通じての債務を利用して、第三世界やロシアや東アジアの依存的な経済をワシントン・コンセンサスの推奨する方向に進ませようとしたことだった。この目的を推進するため、アメリカの外交官たちは、それら二つの機関の改革に反対し、農業・財政・技術面でのアメリカ依存より自国内や地域的な自給をめざすような経済哲学を持つ新たな国際的機関の設置を拒絶し続けている。

 第三の力は、近年の世界的な民営化の波にもかかわらず、政府による経済生活の支配が増加していることだろう。実際、それらの民営化は、各国政府のワシントン・コンセンサスへの従属を反映している。自由な企業活動というのは単なる言葉のあやで、市場はアメリカの計画立案者との二国間取決めにより形を定められることになっている。アメリカは、IMF世界銀行経由の多角的対外援助を駆使して、自国民よりもアメリカの利益に奉仕するような政策を掲げるアメリカ従属的な寡頭政治や政党に援助を与えることができた。
 外国政府に自国の経済をねじまげてまでアメリカの計画に奉仕させるような、アメリカの影響力を如実に示す目印となるのは、一九八五年の日本やヨーロッパとのプラザ合意やそのすぐ後のルーブル合意だろう。それらの合意は日本のバブル経済の引き金を引き、〝日本の経済的挑戦″を打ち砕いた。
最も近年の大災厄は、アメリカに追随するエリツィンーチュバイス一家が押しっけたロシア改革だった。

アメリカの力ずく外交を特徴づける第四の点は、世界貿易が、二国間的な〝秩序ある市場占有協定〟へ移行したことだ。これは、相手国内の生産能力の増加には何ら考慮を払わず、アメリカの供給者に固定的もしくは増加する市場占有率を確保させるよう強いる協定にはほかならない。追い求めるべきは依存で、食糧や技術、あるいは他の重要な部門での自給ではないのである。(P14-15)

エピローグ  米国債本位制による通貨帝由主義(2002年加筆)

 ほとんどの個人のように、あらゆる国は、自国だけがうまい汁を吸って得をし、一方他国はおとなしく経済発展を控えていてほしいと願うのかもしれない。だが、その種のダブル・スタンダードを実際に実行に移そうとした国はまれだ。一九三〇年代を振り返ってみると、各国が一方的に自国の利益を押しっけようとした場合、それに対する国際的な反応は、競争的関税戦争と近隣窮乏化政策的通貨切り下げというゼロサム・ゲームに陥りがちだった。

 しかしながら現在アメリカは、他国の声高な抗議もなしに、毎年何千億ドルにのぼる収支の赤字を計上できている。諸国の中央銀行はもはや流入したドルを金に交換することはない。原油輸出国はアメリカの大手石油会社を買収しようとはしないし、ヨーロッパや日本の政治指導者たちは、アメリカが、ヨーロッパやアジアや他の黒字国に対する自国の投資を売り払って赤字の穴埋めをするようにと要求もしない。今日の世界は、外国の外交官がアメリカ経済に対し、一九二〇年代から第二次大戦の初期までアメリカが取ってきた貸し手優位の立場を取ろうとするような状況にない。当時のアメリカ、イギリスが信用を供与される条件として、海外投資を売り払うように主張したのであるが。
 
 アメリカの増大する赤字に対する衝撃は、その赤字が世界経済システムに組み込まれるにつれて薄れていった。結果として、何が起きているかをほとんどだれもが気づかないまま、アメリカの債務国への転換が戦後経済を搾取的なダブル・スタンダードへと変えてしまったのである。一九七一年に金とドルの交換を打ち切って以来、アメリカは米国債本位制により、代価もなしに外国の資産を利用することができるようになった。すなわち、債権国としてではなく、債務国としての立場を通じて金融面で外国を支配したわけである。ドルの債務が中央銀行の準備、ひいては世界の信用供給の裏打ちとして金に取って代わったのであるから、本質的な不公平についての疑問が再度浮上すれば、システム全体が脅かされることになるだろう。(P369-370)

 

2022年2月21日、プーチン大統領テレビ演説全文

https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/23399(長周新聞)

 敬愛するロシアの市民の皆様、友人の皆様。
私の話のテーマは、ウクライナでの出来事についてだ。それが私たちロシアにとって重要であるからだ。私の訴えは、もちろんウクライナの同胞にも向けられている。

 この問題は非常に深刻であり、細部にわたって議論される必要がある。

 

 ドンバス(ウクライナ東部)の状況は再び危機的かつ深刻な状況になっている。本日、私がみなさんに直接お話しするのは、現状説明だけでなく、すでに受け入れられてきた決定や、その方向性で今後の可能性のあるステップについてお伝えするためだ。

 私たちにとってウクライナは単なる隣国ではないことを改めて強調したい。私たち自身の歴史、文化、精神的空間における不可欠な部分だ。私たちの同志、もっとも大切な人々であり、同僚や友人、元同僚・同級生だけでなく、親戚や血縁、家族の絆で結ばれた人たちだ。

 はるか昔から、歴史的にロシアの地であった南西部のキエフ大公国(ルーシ)に住む人々は、自分たちを「ロシア人」と呼び、そして正統派(東方正教徒)と呼んできた。これらの領土の一部がロシアに復帰する一七世紀までそれは続き、その後もそうだった。

 一般的にいって私たちは、これらは周知の事実(常識)として話題にされることだと知っているように思われる。同時に、今日何が起こっているかを理解し、ロシアの行動の背後にある動機とわれわれが達成しようとする目的を説明するためには、この問題の歴史についてある程度言葉にする必要がある。

 

◆現代ウクライナの誕生 ロシア革命と連邦制

 そこでまず、現代のウクライナはすべて完全にロシア、より正確には、共産主義ロシアであるボルシェヴィキによってつくられたものであるという事実から説明する。このプロセスは実質的に1917年の(ロシア)革命の直後に始まり、レーニンと側近たちは、ロシアの歴史的領土を分離し、切断するという、ロシアにとって非常に不躾な方法でそれをおこなった。もちろん、そこに住む何百万人もの人々に誰も何も尋ねずに。

 その後、大祖国戦争第二次世界大戦)の前後両方に、スターリンは、ソ連編入されたが、以前はポーランドルーマニアハンガリーに属していたいくつかの土地をウクライナに割譲した。同時にスターリンは一種の補償として、ポーランドに旧ドイツ領の一部を与えた。1954年にフルシチョフは、何らかの理由でクリミア(半島)をロシアから取って、ウクライナに譲渡した。事実上、こうして現代ウクライナの領土が形成されたのだ。

 

 しかし、私は今ソ連創設の初期に特に注意を払いたいと思う。これが私たちにとって非常に重要だからだ。

 1917年の十月革命とそれに続く内戦の後、ボルシェビキは新しい国家を築き始めたが、彼らの間では極めて深刻な意見の相違が生じた。

 1922年、スターリンロシア共産党ボルシェヴィキ)書記長と、民族問題人民委員会の会長を兼任していた。彼は、自治の原則に基づいて国を建設することを提案した。つまり、統一的国家に参入するさい、将来の行政区域単位となる各共和国に、広範な権限を与えることを指している。

 レーニンはこの計画を批判し、当時彼が「無党派・独立派」と呼んでいた民族主義者(民族国家主義者)に譲歩することを提案した。

 まさにこのレーニンによる実質的な連邦国家システムの構想は、最大では分離にすら至る(個々の構成国の)民族自決権についての国家スローガンであり、それはソビエト国家機構の基盤に据えられた。それは1922年のソビエト連邦成立(ソ連樹立)宣言に盛り込まれ、次にレーニンの死後、1924年の「ソビエト憲法」に刻まれた。

 

 このことについて直ちに多くの疑問が生じる。最初に最も重要な疑問は、なぜ旧ロシア帝国の周辺部で絶え間なく高まっていく民族主義者(ナショナリスト)の野心を満たす必要があったのか? 新しく、しばしば恣意的に形成された行政単位であるソ連の共和国諸国に、彼らとは何の関係もない広大な領土を移譲することにどんな意味があったのだろうか? くり返すが、これらの領土は歴史的なロシアの住民とともに移譲されたのだ。

 しかも、これらの行政単位には、事実上、国民国家の独立した存在の地位と権限が与えられていた。最も熱狂的な民族主義者がこれまで夢にも思わなかった贈り物を、なぜする必要があったのだろうか? そして何よりも共和国諸国に、無条件で統一国家から離脱する権利を与える必要があったのだろうか?

 「一見」すると、これはまったく理解できないものであり、狂気の沙汰にも見える。しかし、理由はある。革命後、ボルシェヴィキの主な任務は、どんなに犠牲を払っても、実際にあらゆる犠牲を払って、権力を維持することだった。この目的のために彼らは何でもした。屈辱的なブレスト・リトフスク条約(第一次大戦後にウクライナの独立を承認)をも受け入れた。ドイツ帝国と同盟国の軍事および経済状況は最も困難な時期であり、第一次世界大戦の結果は必然的なものだった。そして国内の民族主義者のどんな要求や希望をも満足させた。

 ロシアとその国民の歴史的運命の観点からいえば、レーニンの国家建設の原則は、単なる間違いではなかった。諺にあるように「過ちよりもはるかにひどいもの」だったといえる。それは1991年のソ連崩壊後に明らかになった。

 

 もちろん、過去の出来事を変えることはできない。少なくとも、私たちは何の疑念も政治的脚色もなく、公然と正直にそれらを認めなければならない。私が個人的に付け加えられるものは、その時々の政治勢力が、ときには華やかに、ときには勝利したように見えても、独立国の基本原理となるべきものではないということだ。

 私は今、誰かに責任を負わせようとしているのではない。当時、内戦前後のこの国の状況は極めて複雑で、危機的な状況だった。私がいいたいのは、すべてがまさにこのような状況であったという歴史的な事実だけだ。

 

 すでにのべたように、ソビエトウクライナボルシェヴィキの政策の結果として生まれ、れっきとした理由に基づいて「ウラジーミル・レーニンウクライナ」と今日でも呼ぶことができる。レーニンがその創作者であり、建築家だった。これは、記録保管所の文書によって、完全かつ包括的に裏付けられている。その中には、ウクライナに押し込まれたドンバスに関するレーニンの厳しい指示も含んでいる。

 そして今「感謝する子孫たち」はウクライナレーニンの記念碑を破壊した。彼らはそれを非共産化と位置づけている。あなた方は非共産化を望むのですか? いいでしょう、私たちにはまったく結構なことだ。しかし、なぜそれを途中で停止するのだろうか。私たちは、本当の非共産化がウクライナにとって何を意味するかを示す用意がある。

 

ソ連邦崩壊をめぐって 民族主義の台頭

 歴史の論点に戻ると、くり返すように1922年に旧ロシア帝国の領土においてソビエト連邦が設立された。しかし、このような広大で複雑な領土を、連邦制という捉えどころのない原則で維持することは不可能であることがすぐに明らかになった。それらは、現実からも歴史的伝統からもかけ離れていた。

 赤色テロ、スターリン独裁政権への急速な転落、共産主義イデオロギーの支配、そして共産党の権力独占、国有化、計画経済の独占、これらすべてが実際のところ国家システムが機能しない、単なる宣言と化してしまったことは当然のことだった。

 

 実際には、ソ連の共和国諸国には主権はなく、緊密に中央集権化された完全な単一国が形成された。

 実際、スターリンは、レーニンの考えではなく、彼自身の国家思想を完全に実現した。しかし、彼は基礎文書や憲法に修正を加えず、ソビエト連邦の基礎となるレーニンの原則を正式に改訂していなかった。(彼らにとって)その必要はないようだった。なぜなら、全体主義体制の条件下では、すべてがうまく機能し、見た目は素晴らしく、魅力的で、超民主的でさえあるように見えたからだ。

 しかし、私たちの国家全体を構築する法基盤から、醜悪なユートピア的幻想がすぐに一掃されなかったのは非常に残念なことだ。それは革命に触発され、架空の普通の国にとっては完全に破壊的なものとなった。よくあることだが、誰も将来のことを考えなかった。

 

 共産党の指導者たちは、彼らが強固な統治システムをつくり上げ、彼らの政策が民族問題を完全に解決したと確信していたようだ。しかし、事実の歪曲、概念のすり替え、世論の操作には費用がかかる。民族主義者(ナショナリスト)の野心のウイルスは消えてはいなかった。そして当初から埋め込まれていた地雷は、民族主義のまん延に対する国家の免疫を蝕みながら、自分の出番をひたすら待っていたのだ。この地雷こそがソ連から離脱する権利だった。

 1980年代半ば、社会経済問題の増大と、計画経済の明らかな危機を背景に、民族問題が悪化した。これは本質的にソビエトの人々の不満ではなく、主に各地のエリートの飽くなき欲求にもとづくものだ。

 しかし、共産党指導部は、状況の詳細な分析や、主に経済における適切な対策、政治システムと国家構造の段階的でバランスのとれた方法による変革のかわりに、レーニン主義による民族自決の原則回復について公然と二枚舌を振るうに留まった。

 さらに、共産党内の権力闘争の過程で、反抗勢力それぞれが、支持基盤を拡大するために、民族主義者たちの感情を漫然と刺激し扇動し始め、彼らを弄び、潜在的な支持者とみなし、彼らが望むものは何でも約束した。市場経済や計画経済のいずれに基づくにしろ、民主主義と明るい未来について、表面的でポピュリスト的なレトリックを背景に、人々の真の貧困と広範囲にわたる欠乏の状況下、権力者の誰一人、この国にとって不可避の悲劇的な結末について考えさえしなかった。

 

 そして、彼らはソ連邦黎明期に踏みならされた路線に全面的に乗り出し、党内のランクのなかで育まれた民族主義的エリートの野心に迎合した。そのとき、幸いにして、彼らは国家テロのような、スターリン独裁政権と国そのものを保持するための手段をソ連共産党がもはや手にしていないことを忘れてしまった。そして悪名高き党の指導的役割でさえ、彼らの目の前で朝靄(もや)のように跡形もなく消えつつあることを忘れていたのだ。

 そして、1989年9月のソ連共産党中央委員会の本会議では、真に致命的な文書が採択された。現況における党の、いわゆる民族政策についての思想的プラットフォームだ。

 

 それには次のいくつかの条項が含まれている。

 「ソ連邦の各共和国は、社会主義の主権国としての地位にふさわしいすべての権利を有するものとする」。

 次に、「ソ連邦の各共和国の最高権力代表機関は、彼らの領土において、ソ連政府の決議と指令の運用に異議を唱え、停止することができる」。

 そして最後に「ソ連邦の各共和国は、すべての居住者に適用される自身の市民権を有するものとする」。

 

 これらの規定が何につながるかは明らかではなかったのか? 今は、国の法律や憲法に関する問題にとりかかったり、市民権の概念を定義したりする場面ではない。だが、ただでさえ困難な状況下で、なんのために国を動揺させる必要があったのだろうか? 事実は事実として残る。

 ソ連が崩壊する2年前には、すでにソ連の運命は事実上決まっていた。これが今、とりわけウクライナにおいて、過激派や民族主義者たちが、独立の獲得をみずからの功績(手柄)としている。私たちからすればこれは事実ではない。

 国家建設や経済・民族政策においてさまざまな時期に見られる、ボルシェヴィキ幹部とソ連共産党幹部による歴史的・戦略的過ちが、私たちの統一国家を崩壊させた。ソ連として知られる歴史的なロシアの崩壊は、彼らに責任がある。

 

◆切り離されたロシアとの関係 ネオナチズムの侵食

 これらすべての不公正、欺瞞、そしてロシアからの露骨な収奪にもかかわらず、ソ連の崩壊後に形作られた新しい地政学的現実を認め、新しい独立国群を承認したのは、まさしく私たちの人民だった。ロシアはこれらの国々を承認しただけでなく、自国が非常に困難な状況に直面していたにもかかわらず、CIS(独立国家共同体)のパートナー国を支援した。このなかには、独立を宣言した瞬間から何度も財政支援を求めてきたウクライナの同胞も含まれる。われわれの国は、ウクライナの尊厳と主権を尊重しながら、この支援を提供した。

 

 専門家の評価によれば、その希望に応じてロシアが提供した長期低金利融資、エネルギー資源、経済・貿易上の恩恵により、ウクライナの予算が受けた利益は、単純計算でも1991~2013年までに全体で2500億㌦(約28兆7500億円)にのぼることが確認された。

 だが、それだけではなかった。1991年末までにソ連の対外債務は約1000億㌦(約11兆5000億円)に達していた。当初、これらの債務はソ連のすべての共和国が連帯の精神で、各共和国の経済力に応じて返済すると想定されていた。しかし、ロシアはソ連の全債務を単独で返済することを約束し、2017年までに返済を完了させ、その約束を果たした。

 それと引き換えに、新たに独立した国々は、ソ連の対外資産の共同権利を放棄することになっており、ウクライナとは1994年12月、その合意が成立した。だが、キエフはこれらの協定を批准せず、後に遵守も拒否し、ダイヤモンド基金や金準備高および旧ソ連の財産やその他の対外資産に対する権利を主張してきた。

 

 このようなよく知られている問題にもかかわらず、ロシアは常にウクライナとはオープンに、彼らの利益を尊重しながら誠実に協力してきた。ロシアとウクライナは様々な分野で結び付きを発展させ、2011年の二国間の貿易額は500億㌦(約5兆7500億円)をこえた。2019年、つまりパンデミック発生前でさえ、ウクライナとすべてのEU加盟国との貿易額を合わせても、この指標を下回っていたことを強調しておきたい。

 同時に、ウクライナ当局は、ロシアとの関係において、自分たちをいかなる義務からも解放しながら、あらゆる権利と特権を得ようとしたことは着目されるべきことだろう。キエフ当局は、パートナーシップのかわりに、極めて寄生的態度が優勢になり始め、完全に無造作な性格を帯びてきた。エネルギー分野(天然ガスのパイプライン通過)に関する継続的な恐喝と、ガスの陳腐な窃盗という事実を思い出すだけで十分だ。

 さらにキエフは、ロシアとの対話を、西側諸国との駆け引きの切り札にしようとしてきた。モスクワとの親密な関係を利用して西側諸国を脅迫し、「われわれを優遇しなければ、ロシアがウクライナでより大きな影響力を持つことになる」と彼らは主張し、自身への優遇措置をつかみとってきた。

 

 同時に強調したいことは、ウクライナ当局者たちは、最初の一歩から、私たち(ロシアとウクライナ)を結びつけているすべてのものの否定に基づいて国家の地位を築き始め、ウクライナに住む全世代の人々の意識と歴史的記憶を歪めようとした。当然にも、ウクライナ社会は極右ナショナリズムの台頭に直面した。それは攻撃的なロシア恐怖症(ロシア嫌い)とネオナチズム(極右民族主義)の形をとってあらわれたことは、不思議なことではない。

 ここから、ウクライナ民族主義者やネオナチが北コーカサスのテロ集団に参加し始め、ロシアに対する領土要求がますます声高になっていった。この一翼を担ったのが外部勢力であり、彼らはNGO(非営利団体)や特殊部隊の縦横無尽の情報ネットワークを使って、ウクライナにおいて人脈を育成し、彼らの代表を権力の座に昇進させた。

 

◆迫害と暴力の波 裏切られた市民

 実際にウクライナには、真の国家としての安定した伝統がなかったことにも留意する必要がある。

 そのため1991年(独立時)には、外国のモデルを機械的に模倣する道を歩み、ウクライナの歴史と現実の両方から切り離された。政治国家機関は、彼ら自身に拝金的な利権を持つにわかづくりの財閥を満足させるように絶えず再編成されてきたが、それはウクライナの一般市民の利益とは何の関係もないものだ。

 本質的に、ウクライナのオリガルヒ(寡占)的政権による、いわゆる親欧米文明の選択は、当初は人々の社会福祉の向上を目的としたものであったが、現在ではそうではない。ロシアの地政学的なライバルに対して媚びるようにサービスを施し、ウクライナ人からかすめとられ、オリガルヒ(新興財閥)によって隠された数十億というドルを守り抜くという意義しか持ち得ていない。

 

 一部の産業・金融グループと、その傘下にある政党や政治家は、当初から民族主義者や急進派を頼りにし、また他の政治家は、ロシアとの良好な関係や文化的、言語的な多様性を支持すると口先で訴え、南東部地域の何百万人もの人々(ロシア派住民)を含め、それを真摯に支持した市民の力を借りて政権を獲得した。しかし、役職を得た後、彼らはすぐに有権者を裏切り、選挙公約を反故にした。

 そして実際の政治は急進派(過激派)の下でおこなわれ、昨日まで味方であったものたち、(ウクライナ語とロシア語の)バイリンガル主義やロシアとの協力を支持した公共団体を迫害した。

 彼らは、これらの有権者が基本的に当局を信頼し、法を遵守し、穏健な見解を持つ市民であることを利用した。これらの人々は過激派のように攻撃的に行動したり、違法な手段を用いないからだ。

 

 一方、急進派は、次第に不作法を極め、年々要求を増していった。彼らが、弱い当局に彼らの意志を押し付けるのは簡単なことだった。弱い当局自身も、ナショナリズムと腐敗(汚職)のウイルスにも感染し、人々の真の文化的、経済的、社会的利益、およびウクライナの真の主権を、さまざまな民族的思惑や外部の民族学的属性に、巧みに置き換えていった。

 

 ウクライナでは、安定した国家体制が確立されたことはない。選挙やその他の政治手続きは、さまざまなオリガルヒ(財閥)の間で、権力と財産を再分配するための隠れ蓑として機能しているだけだ。

 汚職は、ロシアを含む多くの国にとって、確かに課題であり問題であるが、ウクライナでは特別に深刻だ。それはウクライナの国家体制、システム全体、そして権力のすべての部門に浸透し、腐食している。

 過激なナショナリストたちは、国民の真っ当な不満を利用して、マイダン抗議デモに便乗し、2014年のクーデター(マイダン革命)へとエスカレートさせた。

 彼らは外国からの直接的な援助を受けた。報告によれば、アメリカ大使館はキエフの独立広場にある、いわゆる抗議陣営を支援するために、1日100万㌦(約1億2000万円)を提供したという。さらに、野党指導者の銀行口座に直接、数千万㌦という巨額のお金が公然と送金された。

 しかし、実際の被害者、キエフや他都市の街頭や広場で引き起こされた衝突での犠牲者の遺族には、最終的にどれだけ支払われたのだろうか? それは聞かない方がいいだろう。

 

 権力を掌握した民族主義者たちは、組織的に市民迫害を始めた。これは彼らの反憲法行為に反対する人々に対する真のテロであった。政治家、ジャーナリスト、公人は公の場で嫌がらせを受け、辱められた。

 迫害と暴力の波がウクライナの都市を襲い、多くの殺人事件が注目されながら、いまだに罰せられていない。平和的な抗議者たちが労働組合センターで残酷に殺害され、生きたまま焼かれたオデッサでの恐ろしい悲劇の記憶は、身震いせずには思い出すことはできない。

 その残虐行為を犯した犯罪者は一人も罰せられず、当局は彼らを追及もしていない。しかし、我々は彼らの名前を把握しており、彼らを見つけ出し、罰し、裁判にかけるためにあらゆることをするつもりだ。

 

◆西欧化がもたらした困窮 全人口の15%流出

 マイダン(革命)は、ウクライナに民主主義と進歩をもたらしていない。クーデター後、民族主義者と彼らを支持した政治勢力は、ウクライナを行き詰らせ、内戦の奈落の底に突き落とした。8年経って国は分裂した。ウクライナは深刻な社会的、経済的危機に直面している。

 

 国際機関によると、2019年には、600万人近くのウクライナ人が職を求めて外国に出ざるを得なくなった。強調するが、就業可能人口ではなく、全人口の15%だ。しかも、彼らのほとんどは日雇いの非専門的労働を強いられている。2020年以降、パンデミックの最中に、6万人以上の医師や医療従事者が国を去った。

 2014年以降、水道料金は3割近く値上がりし、電気料金は数倍になり、家庭用ガス料金は数十倍に急騰した。多くの人々はただただ公共料金を支払うお金がないだけであり、文字通り生き長らえることしかできない。

 

 なぜ、こんなことが起きたのか? その答えは明らかだ。ソ連時代だけではなくロシア帝国時代から受け継いだ遺産を使い果たし、横領したのだ。彼らは何万、何十万という仕事を失った。ロシアとの緊密な協力関係のおかげで、人々はそれらの仕事によって確実な収入を得て、税収を生み出すことができていた。機械製造、機器工学、電子機器、造船、航空機製造などの部門は弱体化し、完全に破壊された。かつてはウクライナだけでなく、ソ連全体がこれらの企業に誇りを持っていた時期もあった。

 

ドネツク州の工業地帯

 2021年、ニコラエフの黒海造船所が廃業した。その最初のドックは、エカテリーナ大帝(二世)にさかのぼる。有名な(航空機)メーカー「アントノフ」は、2016年以降、民間航空機を一機も製造しておらず、ミサイルと宇宙機器の専門工場「ユジマッシュ」は、ほぼ倒産状態にある。クレメンチュグ製鉄所も同じだ。このような悲しいリストが延々と続く。

 ガス輸送システムは、ソ連によって全面的に建設されたものであり、現在では使用することが危険であり、環境に悪影響をもたらすほど劣化している。

 

 この状況は、多くの疑問を投げる。貧困や機会の欠如、そして産業と技術の可能性の喪失、これは彼らが、天国のように今よりもっと素晴らしい場所と約束し、何百万人もの人々をだますために彼らが長年掲げてきた親欧米の文明的選択というものだろうか? その結果、ウクライナ経済はボロボロに劣化し、国民から徹底的に略奪する結果となった。

 そしてウクライナの統治は、外部のコントロール下に置かれた。このコントロールは、欧米資本からだけではなく、ウクライナに存在する外国人アドバイザー、NGO、その他の機関のネットワーク全体を通じて現地でもおこなわれている。

 彼らは、中央政府から自治体に至るまで、すべての重要な任命や解任、あらゆる部門の権力だけでなく、ナフトガス、ウクレネルゴ(送電網)、ウクライナ鉄道、ウクロボロンプロム(防衛産業)、ウクルポシュタ(郵便事業)、ウクライナ海港局などの国有企業や法人にも直接関与している。

 

 ウクライナには独立した司法機関がない。キエフ当局は、西側の要請に応じて、最高司法機関である司法評議会と、裁判官高等資格委員会のメンバーを選任する優先権を、国際機関に委ねている。

 さらに米国は、国家汚職防止庁、国家汚職防止局、汚職防止専門検察庁汚職防止高等裁判所を直接支配している。これらはすべて、汚職対策を活性化させるという崇高な口実のもとでおこなわれている。いいだろう。だが、その結果はどうだろうか? 汚職はかつてないほど盛んになっている。

 ウクライナの人々は、自分たちの国がこのように運営されていることを認識しているだろうか。自分たちの国が、政治的・経済的な保護国どころか、傀儡政権による植民地に落ちていることに気づいているだろうか。

 国が民営化された結果、「愛国者の力」と自称する政府は、もはや国家の立場で行動することはなく、一貫してウクライナの主権を失わせる方向におし進めている。

 

 ロシア語やその文化を抹殺し、同化を進める政策が続いている。ウクライナ最高議会は、差別的な法案を次から次に生み出し、いわゆる先住民に関する法律もすでに施行されている。みずからをロシア人と認識し、そのアイデンティティ、言語、文化を維持したいと願う人々はウクライナでは歓迎されないという合図を受けとる。

 

 ウクライナ語を国語とする教育のもとで、学校や公共の場、たとえ普通のお店でもロシア語は使えない。公務員試験と、その序列の浄化に関する法律は、望ましくない公務員を排除する手段となった。ますます多くの立法が、ウクライナ軍と法執行機関に対して、言論の自由と反対意見の表明を抑圧し、反対派を攻撃することを認めている。

 世界は、他の国々、外国に生きる人々および法人に対して、非合法な一方的な制裁を加えるという嘆かわしい行為を知っている。ウクライナは、自国の人々、企業、テレビ局、その他のメディア、さらには国会議員に対しても制裁措置を講じることで、西側の師匠たちを凌いでいる。

 

 また、キエフモスクワ総主教ウクライナ正教会の破壊を準備している。これは感情的な判断ではない。これらの証拠は、具体的な決定や資料によって見つけることができる。ウクライナ当局は、皮肉なことに分裂の悲劇を、国家政策の手段に変えた。現在の当局は、信者の権利を侵害する法律を廃止するよう求めるウクライナの人々の呼びかけに応えようとしない。さらに、モスクワ総主教区のウクライナ正教会の聖職者と数百万人の教区民に対する新たな法案が最高議会に登録された。

 

 クリミアについても言及する。クリミア半島の人々は、ロシアの一部になることを自由に選択した。キエフ当局は、明確に表明された人々の選択について異議を唱えることはできない。だからこそキエフ当局は、攻撃的な行動を選択した。イスラム過激派組織を含む極端な過激派組織の活性化、重要なインフラに対するテロ攻撃を組織化するための破壊者の派遣、およびロシア市民の拉致だ。私たちはこれらの攻撃的行動が、西側の安全保障機関の支援を受けて実行されているという事実の証拠を持っている。

 

◆強まる対ロシア網 米欧が軍事支援

 2021年3月、ウクライナで新たな軍事戦略が採択された。この文書は、ほぼ全面的にロシアとの対決に専念したもので、我が国との紛争に外国を巻き込むことを目標に掲げている。この戦略では、ドンバスとクリミア(ロシア)で、テロリストの地下活動といえる組織を規定している。

 これはまた、潜在的な戦争の輪郭を定義している。それは、キエフの戦略家たちによれば、「ウクライナに有利な条件で、国際社会の助けを得て」…、さらに、よく聞いてほしい。「ロシアとの地政学的対立において、外国の軍事支援を得て」終結させる可能性を探るというものだ。これは我が国ロシアに対する敵対行為の準備以外のなにものでもない。

 

すでに我々が知っているように、今やウクライナは自分たち独自の核兵器をつくる用意があると宣言している。これは単なる大言壮語ではない。ウクライナは、ソビエト時代に積み上げられた核技術と、航空機を含むこれらの兵器の機動手段、およびソビエトが設計した射程100㌔㍍をこえる戦術精密ミサイル「トーチカU」を保有している。だが、彼らはさらに多くのことができる。それは時間の問題でしかない。彼らはソビエト時代からこのための土台を整えてきた。

 いい換えれば、戦術核兵器の取得はウクライナにとって簡単なことだ。特にキエフが外国の技術支援を受けている場合、ここでは名前をいわないが、そのような研究をおこなっている他の国々よりもはるかに簡単だ。我々はそれを排除することはできない。もしウクライナ大量破壊兵器を手に入れたら、世界とヨーロッパの状況は、特に我々ロシアにとっては劇的に変化することになる。

 

 西側にいるウクライナの後援者たちは、ウクライナがこれらの兵器を入手し、ロシアに対する新たな脅威を生み出すのを助けることができるため、我々はこの危険に反応せざるを得ない。

 私たちはキエフ政権がいかに執拗に武器を装備しているかを知っている。2014年以降、この目的のために武器や装備の供給、軍事専門家の訓練など、米国だけで数十億㌦を費やしてきた。ここ数カ月、全世界の視線のもと、派手なやり方で西側の武器がウクライナへと絶え間なく流れ、外国人顧問団がウクライナ軍や特殊部隊の活動を指揮・監督していることを我々は知っている。

 

 近年、NATO諸国の軍事派遣団は、演習の名目でウクライナの領土に常駐している。ウクライナ軍の統制システムは、すでにNATOに統合されている。これは、NATO本部がウクライナ軍の個々の部隊や分隊にまで、直接命令を出すことができることを意味する。

 アメリカとNATOは、ウクライナの領土を軍事作戦の潜在的な舞台として、無分別に開発してきた。定期的な合同演習は、明らかに対ロシアのものであり、昨年だけでも2万3000人以上の兵士と、1000個以上の部隊が参加している。

 

◆米国とウクライナが共催した多国籍軍演習(2021年7月、ウクライナ南部)

 2022年、外国軍がウクライナ領土に多国籍演習に参加するために来ることを認める法律が成立した。これらは主にNATO軍だ。今年は少なくとも10回の合同演習が予定されている。これらのことは、ウクライナ領土においてNATO軍が急速に強化されるための隠れ蓑となるように設計されている。

 特に、ボリスポリキエフ近く)、イワノフランキフスク(西南)、チュグエフ(東部)、オデッサ黒海の西沿岸)など、米国の援助で近代化された飛行場ネットワークは、非常に短時間で部隊を移動させることを可能にした。さらにウクライナ領空は、ロシア領内を監視する米国の戦略機や偵察機、ドローンの飛行に開放されている。

 

 米国がオチャコフ(南部沿岸都市)に建設した海事オペレーションセンターは、ロシアの黒海艦隊と黒海沿岸すべてのインフラに対して、精密兵器の使用を含むNATO軍艦の軍事行動への支援を可能にすることを付言しておきたい。

 米国はクリミアにも同様の施設を建設しようとしたが、クリミア人とセヴァストポリ市民がその計画を頓挫させた。私たちはそのことをずっと覚えている。

 

 今日、同様のセンターは、すでにオチャコフに配備されていることをくり返し強調する。一八世紀には、アレクサンドル・スヴォーロフ(ロシア帝国時代の軍人)の兵士がこの都市のために戦い、彼らの勇気によってこの都市はロシアに組み込まれた。同じく18世紀には、オスマン帝国との戦争の結果としてロシアに組み込まれた黒海沿岸の土地ではノヴォロシア(新ロシア)という名前が付けられた。

 今日、これらの歴史上画期的な出来事や、ロシア帝国の国家や偉人の名前も忘却に追いやる試みがされているが、彼らの努力なしには現代のウクライナには大都市も黒海へのアクセスもなかったはずだ。アレクサンドル・スヴォーロフの記念碑が最近、ポルタバで取り壊された。どういうことだろうか。あなた方は自身の過去を放棄するのか? ロシア帝国のいわゆる植民地時代の遺産というのか? それなら一貫性を保つべきだ。

 

NATO東方拡大進行 ロシア国境に迫る

 とりわけウクライナ憲法第17条は、領土への外国軍基地の配備は違法であると規定している。しかし、これは簡単に回避できる慣習にすぎないことが判明している。ウクライナにはNATO訓練ミッションがあるが、それは事実上、外国軍の基地となることを作戦と呼んでいるだけのものだ。

 

 キエフは長い間、NATO加盟を戦略的道筋として宣言してきた。確かに、各国は自国の安全保障システムを選択し、軍事同盟を結ぶ権利を持っている。一つの「しかし」がなければ、それは何の問題もない。

 国際文書では、他国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化しない義務を含む、平等かつ不可分の安全保障の原則を明確に規定している。この原則は、1999年にイスタンブールで採択されたOSCE(欧州安全保障協力機構)憲章、および2010年のOSCEアスタナ宣言に定められている。つまり、安全保障を確保する道筋を選択することは、他国への脅威であってはならないが、ウクライナNATO加盟は、ロシアの安全保障への直接の脅威となる。

 

 2008年4月にルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATOサミットで、米国が、ウクライナ、ついでにジョージアNATOの将来的な加盟国にするという決定をおし進めたことを思い出してほしい。多くの欧州同盟国は、この見通しにまつわるリスクをすでに十分認識していたが、彼らは上級パートナーの意志に屈せざるを得なかった。米国は反ロシア政策を遂行するために、彼らを利用しただけだった。

 NATO加盟国の一定数は、ウクライナNATO加盟について依然として非常に懐疑的だ。これは一夜では起こることではないので心配しないように、というヨーロッパのいくつかの首都からの信号を受けとっている。

 

 実は、米国のパートナーも同じことをいっている。我々は「わかりました」と答えるだろう。「もしそれが明日起こらなければ、明後日起こるでしょう。これは歴史的観点から何か違いはあるだろうか? 何の違いもありません」と。

 さらに、ウクライナ東部での盛んな敵対行為は、もし同国がNATOの基準を満たし、汚職を克服すれば、NATOに加盟する可能性を排除しないという、米国指導者の立場の表明だと承知している。

 

 その間、彼らは、NATOが、ロシアに何の脅威も与えない平和で純粋に防御的な同盟であることを、何度も何度も私たちに納得させようとする。またもや我々に、それらの言葉を信じてほしい、と。

 しかし、我々は、これらの言葉の現実の価値をよく知っている。1990年、ドイツの統一が議論されたとき、アメリカはソ連指導部に対して、NATOの管轄権や軍事的プレゼンスは東に一インチたりとも拡大せず、ドイツの統一はNATOの軍事組織の東への拡大につながらないことを約束した。これは引用文だ。

 

 彼らは口頭でたくさんの保証を与えたが、それらはすべて空言であることが判明した。その後、彼らは、中欧と東欧諸国のNATOへの加盟は、モスクワとの関係を改善し、これらの国々の苦い歴史的遺産に根ざした恐怖心を和らげ、さらにはロシアの友好国のベルトをつくることになると私たちに「保証」し始めた。

 ところが、起きたのは正反対のことだった。一部の東欧諸国の政府は、ロシア恐怖症にかられて、ロシアの脅威に関する偏見とステレオタイプ固定観念)を同盟にもたらし、集団的防衛の可能性を強化し、それを主にロシアに対して展開することを主張した。さらに悪いことに、それは1990年代から2000年代初頭に起きた。我々の開放性と善意によって、ロシアと西側の関係は高いレベルに達していたにもかかわらず。

 

 ロシアは、ドイツや中東欧からの撤退を含む、すべての義務を果たし、冷戦の遺産を克服することに大きな貢献を果たした。我々は一貫して、NATO・ロシア理事会やOSCEの枠組みを含め、協力のためのさまざまな選択肢を提供してきた。

 さらに、私はこれまで公言したことのないことを今、初めてのべる。2000年にアメリカの当時現職のビル・クリントン大統領がモスクワを訪れたとき、私はロシアのNATOへの加盟についてアメリカはどう思うかを彼に尋ねた。この会話のすべての詳細を明かすことはしないが、私の質問に対する反応は、いわば極めて抑制的で、この可能性に対するアメリカ人の真の態度は、その後に彼らの我が国に対してとった行動で明らかになっている。北コーカサスのテロリストへの明白な支援、我が国の安全保障上の要求や懸念の無視、NATOの継続的拡大、弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)からの離脱などを参照する。

 

 これらのことは疑問を投げかける。なぜ? 一体何の意味があるのか? 何が目的なのか? あなた方が我々を友人や同盟国とはみなしたくないのなら、それでもよい。でも、なぜ我々を敵にしようとするのか? と。

 答えはただ一つだけだ。我々の政治体制やその他のことではない。まったく単純に、ロシアのような独立した大国を周囲に必要としない、それだけだ。それがすべての問いに対する答えだ。これが米国の伝統的な対ロ政策の源であり、我々のあらゆる安全保障上の提案に対する態度だ。

 

 今日まで、西側諸国がNATOの東方拡大を控えるという約束をどの程度守ってきたかを知るには、地図を一目見るだけで十分だ。彼らは誤魔化し、騙しただけなのだ。

 我々は、次から次へとやってくるNATO拡大の五つの波を見てきた。1999年にポーランドチェコハンガリーの加盟が承認され、2004年にはブルガリアエストニアラトビアリトアニアルーマニアスロバキアスロベニア。2009年のアルバニアクロアチア。2017年のモンテネグロ。そして2020年の北マケドニアだ。

 

 その結果、それらの同盟とその軍事インフラはロシア国境にまで達した。これは欧州の安全保障危機の、主な原因の一つだ。国際関係のシステム全体に非常に悪影響を及ぼし、相互信頼の喪失につながった。

 戦略分野も含めて、状況は悪化の一途をたどっている。例えば、世界的なミサイル防衛システムを構築する米国のプロジェクトの一環として、ルーマニアポーランドに迎撃ミサイルの配置エリアが確立されている。そこに配備されているランチャー(発射装置)が、攻撃型システムであるトマホーク巡航ミサイルに使用できることは、よく知られている。

 

 さらに米国は、多目的標準ミサイル「スタンダード6」の開発を進めている。これは空中のミサイル防衛だけでなく、陸上の標的を攻撃することができる。いい換えるなら、「防衛のため」とされている米国のミサイル防衛システムは、新たな攻撃的能力を開発し、拡大しているといえる。

 我々が入手している情報は、ウクライナNATOへの加盟と、その後のNATO施設の配備がすでに決定されており、それは時間の問題であると信じるに足る十分な理由を与えてくれる。このシナリオを考えると、ロシアに対する軍事的脅威のレベルは劇的に、数倍にも増加することを我々ははっきりと理解する。そして、この時点で強調しておきたいのは、我が国への突然の攻撃のリスクが増大するということだ。

 

 米国の戦略計画文書では、敵のミサイルシステムに対する、いわゆる予防(先制)攻撃の可能性が確認されている。我々はまた米国とNATOの主な敵を知っている。ロシアだ。NATOの文書は、我が国が欧州大西洋の安全保障に対する主な脅威であると公式に宣言している。ウクライナはそのための橋頭堡(上陸拠点)として機能するだろう。我々の先祖がこのことを聞いたとしたら、おそらく信じないだろう。我々も信じたくないが、それが今日の現実だ。ロシアやウクライナの人たちにも、このことを理解してもらいたい。

 

◆ロシア狙い攻撃拠点化 一方的に進めた米欧

 多くのウクライナの飛行場は、我々の国境からそれほど遠くない場所にある。そこに配備されたNATOの戦術航空機は、精密兵器運搬船を含めて、私たちの領土をヴォルゴグラード、カザン、サマラ、アストラハンのラインの深いところまで攻撃することができる。ウクライナ領内に偵察レーダーを配備することで、NATOウラル山脈までのロシアの領空を、厳しく管理することができるようになる。

 

 最後に、米国が中距離核戦力全廃条約(INF条約)を破棄した後、ペンタゴン(米国防総省)は、最大5500㌔㍍離れた標的を攻撃できる弾道ミサイルを含む陸上攻撃兵器を公然と開発してきた。ウクライナに配備された場合、これらのシステムはロシアの欧州地域全体の標的を攻撃できるようになる。巡航ミサイル「トマホーク」のモスクワまでの到達時間は35分未満になる。ハリコフからの弾道ミサイルなら7~8分。そして極超音速攻撃兵器では4~5分だ。それは喉へ突きつけられたナイフのようなものだ。

 彼らが過去に何度もおこなってきたように、私たちの懸念、抗議、警告を完全に無視して、NATOを東方に拡大し、軍事インフラをロシア国境まで移動させ、これらの計画を実行することを望んでいることは、もはや疑う余地のないものだ。申し訳ないが、彼らはこれらのことをまったく気にしておらず、彼らが必要だと思ったことをしているだけのことだ。

 

 もちろん彼らは、「犬は吠えるが、キャラバンは進む」という有名な諺に従って、今後将来にわたって同じように振る舞うだろう。だが、ここでいわせてほしい。我々はこのような振る舞いを認めたことはないし、今後も認めない。とはいえ、ロシアは常に、最も複雑な問題を、政治的、外交的手段によって交渉のテーブルで解決することを提唱してきた。


 我々は、地域および国際世界の安定性に関して、我々には大きな責任があることをよく認識している。2008年、ロシアは欧州安全保障条約を締結するためのイニシアチブを提唱した。この条約では、欧州大西洋地域のいかなる国や国際機関も、他の組織(国)を犠牲にして自国の安全保障を強化することはできない。しかしながら、我々の提案はあっけなく却下された。ロシアがNATOの活動に制限を加えることは許されるべきではない、という口実のもとに。

 さらには、NATO加盟国のみが、法的拘束力のある安全保障を得ることができると明確に示されたのだ。

 

◆却下された対話の提案 応じなかった米国

 昨年12月、私たちは、ロシア連邦アメリカ合衆国との間の安全保障に関する条約草案と、ロシア連邦NATO加盟国の安全を確保するための措置に関する協定草案を、西側のパートナーに提出した。

 これに米国とNATOは一般的な声明で応えた。それらには合理的な要素も含まれていたが、二次的に重要な問題を扱っており、それはすべて問題を引きずり出し、議論を誤った方向に導く試みのように見えるものだった。


 これに対して我々は、交渉の道を歩む用意があることを示した。ただし、そこでは、すべての問題を一つのパッケージとして検討することを条件とした。それはロシアの基本的な提案を含んでおり、三つの重要なポイントから成っている。

 第一に、NATOのさらなる拡大を防ぐこと。

 第二に、同盟国にロシア国境の拠点への攻撃兵器システムの配備を控えさせること。

 最後に、欧州における同盟の軍事力と軍事インフラを、「NATO・ロシア基本議定書」(新規加盟国にNATOの戦闘部隊を常駐させないことを明記)が署名された1997年以前の状態に戻すことだ。

 

 我々の原則の提案は無視された。くり返すが、西側諸国のパートナーたちは、すべての国には自国の安全保障の手段を自由に選択する権利があり、いかなる軍事連合や同盟にも加盟することができるという、あまりにもお馴染みの公式を再び表明した。つまり、彼らの立場は何も変わっておらず、NATOの悪名高い「門戸開放」政策について、相変わらず古い言葉を聞かされ続けている。

 

 さらに、彼らは再び我々を脅迫しようとし、制裁によって私たちを脅している。ロシアが主権と軍隊を強化し続けているので、彼らは何があってもこれを導入するだろう。ウクライナの状況がどのように進展するかに関わりなく、彼らは別の制裁攻撃のための口実を見つけたり、それを捏造したりする前に、二度(慎重に)考えることはないことは確かだ。彼らの唯一の目的は、ロシアの発展を妨げることだ。彼らは以前からしてきたように、たとえ公式の口実がなくても、それを続けるだろう。我々が存在し、我々の主権や国益、我々の価値について我々が決して妥協しないという、単純にそれだけの理由で、それを続けるだろう。

 

 私ははっきりと率直に申し上げたい。これらの現況では、根本的な問題についての対等な対話のための我々の提案がアメリカとNATOによって実際に回答されていないとき、また我が国に対する脅威のレベルが著しく高まっているとき、ロシアには自国の安全を確保するために対応する、あらゆる権利がある。それこそ、我々がおこなうことだ。

 

◆終わりなきドンバス爆撃 無視される大量殺戮

 ドンバスをめぐる状況に関しては、キエフ与党のエリート支配層は、紛争を解決するためのミンスク合意の一連のパッケージを遵守することへの拒否を公に示し続けており、平和的解決に関心を持っていないことは明らかだ。それどころか、2014年と2015年のケースのように、彼らはドンバスで電撃戦を組織しようとしている。これらの無謀な計画がどのような結末を迎えたかは、誰もが知っている。

 

 ドンバスのコミュニティーが爆撃されない日は一日もない。最近(ウクライナで)形成された大規模な軍事力は、攻撃用ドローン、重火器、ミサイル、大砲、および多連装ロケット砲を使用している。民間人の殺害、封鎖、子供、女性、高齢者を含む人々への虐待は容赦なく続いている。これに終わりは見えない。

 一方で、このようなことが起きている間にも、西側の同僚たちが唯一の代表者であると宣言している文明世界は、400万人近くが直面しているこの恐怖と大量虐殺(ジェノサイド)が存在しないかのように、これを見ないことを好んでいる。

 しかし、これらは存在している。このことが起こったのは、2014年に西側の支援を受けたウクライナのクーデター(マイダン革命)をこれら(ドンバス地方)の人たちが同意せず、ウクライナで国策へとランクが引き上げられた、攻撃的でネアンデルタール人のようなナショナリズムネオナチズムへの移行に反対したからなのだ。彼らは、自分たちの土地に住み、自分たちの言語を話し、自分たちの文化や伝統を守るという、基本的な権利のために戦っている。この悲劇は、いつまで続くのだろうか? 我々はどれほど長くこのことに耐えられるだろうか?

 

 ロシアは、ウクライナの領土保全を維持するために、あらゆることをおこなってきた。ドンバスの状況を解決するために、ロシアは、2015年2月12日のミンスク合意の一連の措置を統合した2015年2月17日の国連安保理決議2202の実施を、粘り強く、辛抱強く求めてきた。

 すべてが無駄だった。ラーダ(ウクライナの最高議会)の大統領と代議士は入れ替わっても、キエフで権力を握った攻撃的な民族主義ナショナリスト)の基本的な体制は変わらない。これは完全に2014年のクーデターの産物であり、暴力、流血、無政府の道を歩み始めた者たちは、ドンバス問題に対する軍事以外の解決策を認めなかったし、今も認めていない。

 

 この観点から、私は長年下さなければならないと思いながらも延期してきた決定を下す必要があると考え、ドネツク民共和国とルガンスク人民共和国の独立と主権を直ちに承認することが必要であると考えている。

 

 私は、ロシア連邦連邦議会がこの決定を支持し、そして二つの共和国との友好相互援助条約を批准するようお願いしたい。二つの書類は近日中に準備され、署名される予定だ。

 我々は、キエフで権力を掌握し続ける者たちが、敵対行為を直ちに停止することを望んでいる。そうではなく流血の惨事が続くとしたら、その責任のすべてはウクライナの権力体制の良識に帰することになる。

 本日の決定を発表するにあたり、私はロシアの市民と、愛国勢力の支持を確信している。

出典:ロシア大統領府HP(英訳)