yamamba’s diary

日朝国交正常化なくして、拉致問題の解決はなし

空騒ぎと戦争挑発 2001年9月FSHISO

◆15296/15500 QGB02146 TATEO 空騒ぎと戦争挑発(1)
( 9) 01/09/21 21:25 コメント数:1
■なさけない日本の事情
私はそもそも右翼とか愛国主義者とかの類は大嫌いだし、自由党の小沢氏などと意見の交わる所など何一つありはしないと昔から思っていました。
(そもそも日本の自称右翼なんてものは、金銭目的でわーわー騒いで人を脅かしているだけの「エセ右翼」「エセ愛国者」がほとんどで、思想性などまるでないでしょう。)
しかし、昨晩の小沢氏の話を聞いて、少しその考えは変わりましたね。
昨晩、自由党の小沢党首は小泉首相との党首会談を一人拒否して記者会見を開き、一昨日の小泉首相が発表したG8共同声明での日本の「支援」方策と指針の内容を真っ向から批判し、「なし崩し的、場当たり的な自衛隊の海外派遣拡張には断固反対する、この様な無原則で一国を危険に晒す行為は到底許されない」との見解を示した。
その声には本気の怒りが込められていた。
う~ん、よくぞ言ってくれた\(^o^)/
これぞ、真性の右翼、真性の愛国者の姿だ。
「これぞ政治家小沢一郎、の気概をみた!」(何だか私までが右翼的口調になってきたなぁ(^^;

今回の戦争は、基本的には<他国>の戦争です。
日本が直接攻撃を受けた訳ではない。
攻撃を受けたのは米国本土であって、米国がその挑発者に対して戦争をやるのはそれなりの理由もあるが(私はこれにも賛成はしませんが)、日本の本土が直接テロの標的になった訳ではない。
これは戦争の問題なのです。
「日本もテロの標的にされるかも知れない」という可能性とか、「被害者には数十人の日本人も含まれている」とか言う理由で一々外国に出かけていって、戦争をやるのでしょうか?

いくらテロリズムが憎いとか、米国と日本は運命共同体だから彼らを支援するのは当然だとか、世界の同盟国がテロ撲滅の為の共同行動に立ち上がっているとか云っても(仮にそうした理由が正当でも)、戦争行為に実行するなら、きちんと交戦相手を特定すべきだし、きちんと合法的な手順を踏んでやらなければならない。

「国際ならずもの集団」とか「国際テロリストグループ」とか言った訳の分からない曖昧模糊な定義の相手に戦争など出来るはずがないのです。
米国は相手(敵)を特定しているにも関わらず、日本に(あるいは自国民にも)きちんとした説明をしていない。
日本と米国との間には安保条約があるから、なんていう理由も通用しない。安保条約に米国の戦争に日本の自衛隊が参加して共同作戦を行うなどいう項目などはないはずです。
それに日本は憲法9条で外国との交戦権は放棄しているのです。
最低限、外国と戦争をやるなら憲法を改正してきちんと交戦権を確立してから実行しなければならない。
(私自身は憲法9条の改正には反対だが、もし戦争をやるならその手順はきちんと踏むべきだ、という意見では小沢党首と同じです。

それを、とにも角にもそんな暇なことはやっていられない(憲法改正)とか、米国が急いでいるからとか、世界が皆動き始めている時に日本も乗り遅れたら大変だ、とかいう訳の分からない理由、全く恥ずかしいばかりに没主体性的な、思考回路の破綻した理由で、軍隊を派遣し、国を戦争に動員するなどという行為は、それこそ「自国民を危険にさらし」、「一国の主権を他国に売り渡す行為」と言わざるを得ません。
(そもそも日本人の多くがいま日本が実質の戦争行為に動員されつつある、などいう自覚はほどんとないでしょう。)

要するに本当の事情はこうです。
米国は大国だし、G8という強力なパートナーもいる事だし、何の道弱小勢力相手にしての戦争で負けることはないだろうから、この際積極支援を拡大し、勝ち馬に乗っかるに越したことはない。
インド洋だろうと、ペルシャ湾だろうと、その辺をうろちょろしている限りは敵にろくな攻撃武器など無いだろうから、まあ日本の支援艦船は安全だろう。とまあ、これが本音でしょう。

言うも浅ましい、無節操、無原則、場当たり主義、日和見主義もここに極まり、の態度でしかないのです。
戦争に参加するでもない、しないでもない、前線でもなければ、全くの後方でもない、とに角茶坊主よろしく米軍の尻に引っ付いてその辺をウロウロするだけです。
こんないい加減な事をやっていて、本当に敵からの攻撃を受けて自衛隊の艦船が沈没したらどうするのしょうか?その時、始めて宣戦布告して戦争を始めるのでしょうか?
しかし敵からすれば、先に攻撃をしかけてきたのは日本の側なのです。
「支援」艦船などという名目も通用しないでしょう。
協力内容は、「医療、物資の補給、輸送等」等で直接戦闘行動に参加するものでないから、相手に対しての敵対行動ではないとでも言うのでしょうか?
自衛隊の艦船が、赤十字の船とでも言うのでしょうか?

こんなだらしない無責任極まりない日本政府の方針を見ると(民主党も同じレベルだ)愛国主義者でなくとも怒りたくなります。「これが1億数千万人の国民の命を預かる一国の政治指導者達の責任ある態度か」と。

 

◆15319/15500 QGB02146 TATEO 空騒ぎと戦争挑発(2)
( 9) 01/09/24 10:26 コメント数:2
■ デマ情報「テロにご用心」
9月11日の米国での同時多発テロ事件が勃発して以降、「国際テロリストグループ」によって日本も狙われている、テロの標的にされている、既に12,3人のテロリストが国内に潜入したようだ、と言うような根も葉もないデマ情報が飛び交っている。一体このデマ情報は何の意図によって流されているのでしょか?

然り、米国での事件は日本も他人事ではない(実際に日本人もそこに含まれていたではないか)、日本と米国は運命共同体だ、日本もこのままではテロの標的にあう、米国と一緒に国際テロ撲滅戦争に乗り出さなければならない、米軍を助け自衛隊も中東の戦争に参加しなければならない・・・等々。
要するにこういう戦争へのシナリオを作り出す為です。
そして今回の中東での戦争へ米軍の最大の出撃前線基地となりつつある日本の米軍基地の防衛を日本に実行させる為、米軍基地へのテロの可能性を、日本一般への攻撃にすり替えて、危機意識を煽り、国民を騙しているのです。一語で言いますと、日本を米国の戦争に巻き込み、戦争に動員する為のねつ造された口実なのです。

しかし、意図的にこういうデマ宣伝を流している人たち(米国の諜報機関か?)はともかく、しかし単純にこうしたデマ宣伝を信じ込み、「狼少年」になって空騒ぎをしている人もいる事でしょう。
だから私は次に、こういう嘘と虚言の類の手法を説明する事にしましょう。

はっきり言いましょう。「日本も国際テロリストグループに狙われている」というような話は、全く根も葉もないデマ情報か、あるいはまるっきり子供じみた妄想でしかありません。(先に述べたように米軍基地に関しては別です、それに「今の所」と付け加えて置きましょう。)

「そんな事をどうして断言できる」「日本がテロリストの標的にならないとう保証がどこにある」と、当然こういう反論もでて来るでしょう。
そこで私は答えます。「はい、確かな根拠はありません。」と・・(^^;
では、反対に狼少年の皆さん達にお聞きしますが、(この会議室にもこの種の狼少年が多いようです、そのあほらしい話の一つ一つにコメントを書いている暇がないので、この文章をみてたら回答を寄せて下さい。)
日本がその種の国際テロリスト集団からどうして狙われなければならないのか理由を述べてください。
その「国際テロリストグループ」なるものから、「皇居や霞ヶ関ビルにロケット砲が打ち込まれるかもしれない」とか「横浜マリンタワーや池袋サンシャインビルに爆弾が投げ込まれる」とか、「柏崎原発も危ない」とか「新宿都心でサリンがまかれるかも知れない」とか、空騒ぎしている人達にお聞きしますが、情報の出所の説明は結構ですから(そんな元から怪しい出所を聞いても意味がない)、彼らが何の目的で日本まで来てそんな事しなければならないのか、理由を説明してください。

結論から先に言えば、そんな妄想事に何一つ確かな根拠など示されないでしょう。要するにそれは現実には起きていないのですから、予測の問題、全て可能性、仮説の話です。しかし「可能性があるなら準備は怠らない方がよい」とういう訳です。
私の「そんな可能性はない」と言うのと、狼少年達が「可能性はある」と言うのは結局水掛け論で何時までも並行線のようです。
可能性を言うなら結局、<想像力><常識>で物事を考え、答えを導くしかありません。大人の私の「想像力」「常識」が正しいのか、狼少年達の「想像力」「常識」が正しいのか?

国際テロリスト集団が、とりあえずイスラム原理主義者の過激派を指すものであるとしましょう。そうだとすれば、彼らは一体何の為にそんな真似を、日本まで出かけてきて、新宿でサリンをまいたり、サンシャインビルを爆破したり、皇居を襲撃したりしなければならないのでしょうか?
私にはまるっきり理由が分かりません。
イスラム原理主義過激派が米国を標的にするのはある程度推測できるけれども(実際にそれは起きた)、日本が標的になる理由が分からない。
私にはそんな荒唐無稽な妄想は想像もつかないので、これはそうい事件が現実に起きると想像できる「非常識」な人達に答えて貰うしかありませんね。

「理由なんか知るか、実行グループに聞いてくれ、つまりそういう邪悪な、とんでも無い極悪非道な悪人達が何時でもいるんだよ、現に都内でサリンをまいたオウムの様な連中がいたじゃないか、現実に9月11日に同時多発テロが起きたじゃないか」「米国で起きたことは、日本だって起きても不思議はない」・・・と、まあこんな風な答えになりますか。

ちょ、ちょっと待って下さい、ミソもクソも一緒にしないで下さい。
オウムの連中とイスラム原理主義の過激派は同じグループなのですか?2001年に米国東部で起きた事件と、1995年に日本の地下鉄で起きた事件とは同じなのですか?サリンの散布と、航空機によるビル爆破とは同じ行為なのですか?
米国と日本はそんなに何もかも同じなのですか?

■ ハリウッド映画の手法
狼少年の皆さんは、米国ハリウッドのパニック映画、アクション映画を見すぎたのではないでしょうか?その種の影響を受けたテレビゲームをやり過ぎたのではないでしょうか?

そう9月11日、そこでは確かにハリウッドのパニック映画そのままの、いやそれ以上に凄惨な、信じがたい事件が起きました。全く映画のシーンにそのまま出てくる様な、それ以上に目を疑う惨劇の場面でした。
しかし「恐れていた事が現実となった」と思った方もいるでしょう。
それがまた日本の「狼少年」達の想像力に火を付けたのでしょう。

ハリウッド映画では、ならず者、テロリスト達が、鉄砲、手榴弾、ロケット砲で武装して、次々に銀行や地下鉄や高層ビルを襲撃し、罪のない人質をなぶり殺しにしたり、爆弾を投げ込んだり、と極悪非道の限りを尽くします。大型飛行機が乗っ取られ、高層ビルに突入して爆破される、という様な筋書きの映画があったかどうか、私には記憶ありませんが、この種のパニック映画は無数作られているからその中にそれに似た筋の映画もあったかも知れません。

しかし常識的な考えの持ち主である私は、こんな事は現実には起きないなあ、あり得ない話だなあ、と思いながら、いわば娯楽映画として愉しんで来ました。(この後に強いヒロインが出てきてばったばったと悪人をやっつけますので、胸がすくわけです(^^;;

何故、現実に起きない話だと思うかというと、そういう悪人達、極悪非道のテロリスト達の動機・目的がほとんどきちんと描かれていない映画が多いからです。なぜそんな残酷な殺人行為を働くのか、さっぱり理由がわからない。
動機が無ければそんな事は現実には起きないでしょう。
最悪、犯人が何か覚醒剤みたいな薬を飲んでいて脳がやられた人にしても(つまり自分が何をしているか分からない精神喪失状態)、その行動を導く何んらかの動機らしきものはあると思います。
その為に心理学とか精神分析学とかいう学問があるでしょう(余り進歩しているとは思えませんが)。
仮にそんな男が一人二人いたとしても(例えば日本で起きた小学生連続殺傷事件をおこした宅間容疑者の様な訳の分からない人がいたとして)、10人や20人が徒党を組んで、何か一つのまとまった事件を引き起こすなどいう事は不可能でしょう。

しかし現実の犯罪はもっと頭のしっかりした人間によって実行されるでしょうから、より動機ははっきりあるはずです。金品窃盗の目的なら非常にわかりやすい。しかし窃盗が目的ならそんな無差別テロの様な真似はしないでしょう。金品を強奪すれば良いのですから、それ以上の殺人は意味がありません。
しかしハリウッドの活劇では、何故か金品強奪と無差別殺人が一緒に実行される、みな覆面などしているから、別に口封じで殺した様にも見えない。要するにこれはそんな「不条理」で「理不尽」で「言語道断」な行動をする犯人(例えばサディスト)に対する聴衆者の怒りを強める効果を狙って、一つの手法として使われているに過ぎないでしょう。現実にはそんな事はあり得ない。
殺人自体が目的なら、特定の相手に対しての怨恨とか、敵討ちとか、自分(達)にとっての邪魔者を消す為とか、敵対する政治勢力の指導者をねらったテロとか(大規模になれば戦争ですが)、兎にも角にも具体的な動機は確かにあるでしょう。
その動機が分からなければ、その犯罪の意味が分からず、「意味のない犯罪は起きない」という事です。

米国のハリウッド映画には、この種の動機付けが曖昧なただ闇雲に人をなぶり殺す荒唐無稽なアクション映画が多い。要するに犯罪行為がミソもクソ一緒にして描かれているのです。「邪悪な人たち」一般のイメージが作られ、それへの憎悪が増幅される。こうなればたしかにオウムの連中と国際テロリストの連中が手を結んで米国・日本で同時テロを実行すると妄想しても不思議ではない。

勿論、ハリウッド映画も粗悪品ばかりではありません。きちんと犯罪者の時代背景、心理状態、その目的動機が描かれた映画もあるでしょう。名作と言われるのは、大概りアリティ(現実性)がきちんと描かれた映画に多いのではないでしょうか(例えば「俺たちに明日はない」ボニー&クライドとか)。

ハリウッド映画の手法を考える上で、もう一つ例を挙げましょう。
米国の代表的な映画、西部劇です。
そこではインディアンが馬に乗って登場し、闇雲に白人の住民や幌馬車に乗った白人の通行人に襲撃を繰り返します。時には残酷なやり方で、「罪もない」農場の住民や幌馬車に乗った「か弱い」婦人子供を殺したりします。そこで正義の味方の騎兵隊がさっそうと登場して、生き残った人達を助け、インディアンに反撃し、土地から追っ払います。再び「平和で静かな」アメリカ西部の田園風景が戻って、メデタシ、メデタシというのが話の筋です。

そこで疑問は、一体このインディアンと呼ばれる人達は何者なのでしょう?一体何故に、「罪もない」農場の住民や幌馬車の「武器も持たない」通行人などをめったやたらに襲うのでしょうか?
勿論、答えは簡単です。アメリカの先住民達である彼らが自分たちの土地を、西から来た白人達に奪われまいと(あるいは取り戻そうと)、侵略者に対して攻撃を加えてきただけの話でしょう。
彼らは白人達に自分の生活の場である土地から出て行って貰いたいだけで、殺人自体、戦争自体が目的ではないでしょう。
ところが、こうした「動機」があるいは「背景と理由」が何故か何時もすっぽり抜け落ちている。勇敢なカウボーイ、騎兵隊が勇猛果敢に戦う姿や救助に向かった若い騎兵隊員とその幌馬車で助けられた女性とがめでたく恋に落ちる、といった話がメインテーマですから、そんな背景は説明不要なのかも知れません。
そこで、何でも知りたがる年頃の子供が父親に、「ねえ、パパ、なんでインディアンは襲ってくるの」と聞きますね。

パパの答え、「野蛮人だから」と。「そういう奴らだから」と。
実際、そこには如何にも人食い人種の様な、顔に恐ろしげな入れ墨をした半分裸の男が弓矢を持って立っています(^^;;

さすがに最近は、こんな人権無視の単純ストーリーの西部劇は作られなくなりました(しかし作られなくなった時期は、そんなに昔の話ではなく、1970年代の主にベトナム敗戦以降だ、という事を銘記して下さい。)
インディアンの描き方は確かにその後変わりましたが(例えばケビンコスナー主演の「ダンスオンザウイルズ」)、しかしこの種の完璧におめでたい単純思考の、リアリティ欠如のハリウッド映画は相も変わらず作られ続けています。
(まあ、日本映画や、香港映画もそんなハリウッド映画を下敷きにしてますから、おめでたさのレベルは一緒ですが・・・(^^;。

めったやたらに理由もなく、鉄砲を撃ちまくり爆弾を投げ人殺しをする凶悪な犯罪者、野蛮人が描かれ、それを懲罰する勇敢な英雄達の映画は後を絶ちません。
なぜそんな犯罪者がいるのか、なぜそんなにも凶悪犯罪が次々に起きるのかは末節な話で、中心は英雄達がいかに多くの困難を克服して、勇猛果敢に戦い、残酷な犯罪者達に懲罰を与え、そして最後には、自分達の家族を守りきり、市民を助け、<国難>にうち勝って国家の威信を取り戻す、といった話がもっぱらなのです。

 

◆15335/15500 QGB02146 TATEO 空騒ぎと戦争挑発(3)
( 9) 01/09/25 12:00 コメント数:1
■ 国際テロリスト集団とは何者か?
どうですか?
あまりにも話が出来過ぎていると思いませんか?
9月11日の事件、及びそれ以降にさまざまに繰り広げられる事件の展開の様子がこれまで私が述べてきたハリウッド映画のストーリーと、あまりに似通っているとは思いませんか?

それもそのはずです、ブッシュ大統領を始め米国の戦争挑発者達はまさにこのハリウッド映画そのものの手法で、若者を戦争に煽り立てているからです。

相手は、「理不尽」「不条理」極まりない凶悪犯、救いがたい犯罪者、「対話不能」なテロリスト達です。
国難を作り出す凶悪犯の動機の解明なんて必要ないのです。
カダフィや、サダムフセインや、金正日や、ウサマビラディンといったならず者達は、映画に出てくる見境のない無差別テロリストと同じ類の人たちであって、それはちょうど邪悪な意図を持って地球に進入した宇宙人と同じ、時には巨大な鮫や竜巻や落下してくる隕石と同じ類の災難で、動機の説明なんて要らないのです。
敵は邪悪な意図をもって、米国に国難をもたらす理解不能なインベーダー達なのです。
まあ、巨大な鮫や竜巻や隕石までが、そんな「邪悪な意図」を持っているかまでは分かりませんが(^^; とにかく米国の平和な市民生活に「不条理」「理不尽」「憎むべき」災難をもたらすという事では同じ類なのです。

そうだとすれば、そんな連中に手加減などする必要はないのです。
災難はその元の原因から取り除かなければ駄目、要するに絶滅、根絶やしにするしかないのです。
そういう邪悪な人間を生かしておくとろくな事はない。何度でも同じ犯罪を起こすだろう。だから、ハリウッド映画では、散々相手に残酷な攻撃をさせておいて、その犯人が救いがたい悪人、手に負えない殺人者、サディストであるというイメージを散々造り出し、視聴者に「こんな野郎は生かしておいても、社会正義のためにならない」という印象を作り出します(オオコワ・・・・(;_;)
しかし、まともに「問答無用」でその場で撃ち殺すのは、幾らなんでも一応アメリカ合衆国も「法治国家」の一つですから、そんな「無法者」みたいな真似は出来ません。
そこで人質が殺されかけているとか、主人公が散々敵に残酷な方法で痛めつけられ、最後に正当防衛の末に撃ち殺すとか、といういわばどさくさに紛れて「始末する」のです(オオコワ・・・・(;_;)

こう考えてくると、何かハリウッド映画のシナリオが出来すぎていて、あたかも今回の様な事件を想定して、若者の<洗脳>のために作られた映画の数々ではないか、とも疑いたくなります。
(まあ 、これは幾らなんでも私の思い過ごしでしょうね(^^;;
あの貿易センタービルへの航空機の突撃場面とビルの崩壊がまさにハリウッドのパニック映画の一シーンであるならば、凶悪な犯人達に対する「懲罰」の為の出動する若者の姿も、まさに映画の中のヒーロー達の立ち振る舞いでなくてはなりません。
「俺たちは負けない」「我々は勝つ」「我々は耐えて反撃する」「ならずものを許さない」「人殺しには容赦しない」「悪人は眠らせない」「USA万歳!」「大統領万歳!」・・・と。

随分、話は回り道をしてしまいました。
娯楽アクション映画の話の上では、別段「犯人」は誰でも良いでしょう。要するに相手は邪悪な人達、犯罪者であって理解不能のテロリストでもかまわないでしょう。
しかし現実の話となれば、そうは行きません。「犯人」とは誰で、何の目的でそんな「犯罪」(テロ)を行ったのか、行おうとしているのかを明らかにしなければなりません。そしてそこには必ず確かな動機・目的が存在するでしょう。そうしなければ、事件の本質は理解できません。「理由のない犯罪は起きない」のです。

しかし、9月11日の事件から、テロの犯人達、実行者グループの人達が誰なのか、何の目的でそんな行為に及んだのか、どれ程伝えられているでしょうか?
米国の捜査当局は相当に調べが進んでいるはずなのに(そうでなければ初期のあの素早い対応は理解できません)、どれ程の情報が公表されたのでしょうか?
とにもかくにも、米国の市民大衆は頭から「国際テロリストグループ」「国際犯罪者のネットワーク」という様な正体不明の幽霊の名前を聞かされ、その後に、多少具体的に「イスラム原理主義の一部の過激派」、それを束ねる「ウサマ・ビンラディ氏の一派」(アルカイダ)という様な名前を聞かされ、後は実行者達の個々の名前と若干の経歴がぽつりぽつりと公表されたに過ぎません。

その中にはアラブ人が比較的多く含まれているようです。
しかしそうだとすれば彼らアラブ人が米国まで来て、何の目的でそんな犯罪行為を働いたのでしょうか?そこにはどんな動機、目的意図があったのでしょうか?
その事を明らかにしなければ、何かアラブ人一般が悪人扱いされかねません。(実際に、米国国内では事件以降、彼らへのいやがらせ、脅迫、殺人が頻発している様だ。情けない話です。)

「国際テロリストグループ」のメンバーだとされますが、そのグループは何を目的に存在し、そう度々米国に対して(95年の貿易センター爆破事件も彼らの犯行とされている)事件を起こすのでしょうか?
米国を脅かして巨額の金品を強奪しようというのでしょうか?それが目的なら確かに日本でも彼らが何らかの犯行を起こすことあると予想できます(日本にもそこそこのお金があり、警備も弱体でしょうから・・・(^^;;
でもそんな連中なら無差別な殺人行為は働かないでしょう。そんなのは脅しにはならず返って人怒らせ、金品強奪の目的ははたせないでしょう。
それとも、恨みによる犯行でしょうか?何を恨んだのでしょうか?
報復でしょうか?何に対する報復なのでしょうか?
先日の新聞の報道では、ウサマ・ビンラディン氏が米国の株式市場を操作して今回の事件で数億ドルの巨額の利益を得たいう様な情報が流され、それが(9/11事件)金品窃盗も同時に目的にしたテロ行為の様なうわさも流されています。
しかし常識で考えて、そんな目的で10人や20人もの若者を自殺覚悟の決死隊などに編成できるでしょうか?それとも若者達は貧しい故郷の家族の生活を支えるため、「上から」金を貰って犯行に及んだのでしょうか?それでも若者の数が多すぎる様な気がしますね。
真実の程は分かりません。しかしどうもこれまでの経過をみると(ハリウッド映画の手法)、これまた「何でもやりかねない極悪非道で、始末に負えない連中」というイメージを作り出すための例の「みそもくそも一緒」のフレームアップの手法に思えて仕方がないのですが、
私の邪推でしょうか?

なぜ「無差別テロ」なのでしょうか?こんな事を言えば不謹慎だとお叱りを受けるかも知れませんが、それなりに冷静に見れば、私には全くの「無差別」とも思えません。
95年と同じ貿易センターを狙っているし、もう一機は国防総省ビルを狙っている事からも、やはりそれなりに対象が絞られている、つまり一応「差別」らしき形跡はある様な気がしますが・・・。
ハリウッド映画に出てくる、とにもかくにもめったやたらと「理由もなく」人殺しを繰り返す様な犯行とは性質が違うような気がします。

しかし本当の所は、私としても真実は何にも知らないのです。邪推で物事は語りたくはないのです。
ではもう一度聞きますが、彼らはどうして何を目的にそんな犯行に及んだのでしょうか?どんな理由と動機があったのでしょうか?

この理由・動機の満足な説明がブッシュ大統領あるいは米国の捜査当局から何かあったでしょうか?
何にもありません。
見事なぐらいこの方の説明は抜け落ちています。
要するにそんな細々とした説明は要らないというのです。
「そんな理由は犯人達に聞いてくれ、要するに訳の分からないならず者達である事は確かだし、我々の平和な生活を、自由な秩序を破壊する邪悪なテロリストである事は確かだし、我々は攻撃された以上は反撃するのは当然だと」・・・・と。

■何のための戦争なのか?
話が少々くどくなりましたが、要点はこうです。
私たちは、「犯人達」の事はほとんど何も知らないのです。
確かに「国際テロリスト集団」とか「イスラム原理主義過激派」とか「ウサマ・ララディン氏の一派」とか、名前は聞かされていますがそれ等の人たちが何者か?何を目的とした組織なのか、何故9・11の犯行に及んだのか、余りに知らないのです。
ブッシュ大統領と米国の戦争指導者は、当然人々を戦争に動員しようと言うのですから、しかも世界中の厖大な人々にこの「聖戦」(?)への参加を呼びかけているのですがら、国民にも世界の人々にも、きちんと説明する義務があるでしょう。
しかしほとんど何の説明もない。
「国際テロリストグループ」だとか「国際犯罪者ネットワーク」とか言った幽霊みたいな名前が一人歩きしているだけです。
常識で考えてください。
こんな奇妙な戦争があるでしょうか?
そして、こんな正体不明の幽霊の様な相手に、私たちはどうして戦いに臨まなければならないのでしょう?
戦いの意味が分からないのです。仮に相手がイスラム原理主義の過激派としましょう。しかし、日本人である私は彼らと何故戦争しなければならないの か、(もち論、米国での9/11事件には同情するし、哀悼しますが)まるっきり分からないのです。実に不思議な話です。

世界には確かに邪悪な人々も多数いるかも知れません。
そうすると、いま中東に向かっている米軍の艦船と軍用機は、世界中で邪悪な人々、ならず者、犯罪者を殺しまくるのでしょうか?
そんな途方もない試みは想像も付きません。
ウサマ・ビンラディン氏一派の逮捕が目的なら分かります。
では、何故戦争なのでしょうか?タリバンが、あるいは他のイスラム諸国の一部が彼らをかくまっているから、こちらの要請を拒否しているから・・・と。
で、米国は自国の数千人の市民の命と引き替えに、数十万人(あるいはそれ以上の)のアラブの人々、イスラムの人々の命を貰おうという訳なのでしょうか?米国人一人の命は、アラブ人の十人分、あるいは百人分の命に相当するとでも言うのでしょうか?

ブッシュ大統領は、「われわれに逆らう奴らは金輪際容赦しない、手加減しない」と言い、「この戦いは困難な闘いであり、数年は続くだろう」と言っています。
しかし戦争がそんな意味不明な、柄の悪さでは「ならずもの集団」と同程度の、やくざの喧嘩みたいな戦争なら、私には永遠に終わらないだろうと思いますが・・・(^^;;

米国の市民がいま悲しみを深くしている時、私がこれまで述べてきた事柄が、彼らの感情を傷つける内容が含まれている事は重々承知しております。(この会議室でも、相変わらず米国市民のこの感情に同情するとして、人の発言に根拠のない因縁をつけて回って人を黙らせまともな政治論議を封じようという「口先の善意者」=邪な偽善者たちが跳梁跋扈している様です。)

しかし私にはどうしてもブッシュ大統領の「戦争論理」には無理があると言わざるを得ないのです。
いま米国の戦争に日本が参戦しようとしている事にも無理がある。無理が通れば、道理は引っ込むのです。
道理の通らない戦争は必ず負ける、なんて子供じみた事は思いません。今度の戦争で米国とその同盟軍は華々しく戦果を挙げ、めでたく勝利を収めるかも知れません。しかしそんな(道理の通らない)戦争が悲惨をより大きくする事だけは歴史の法則として真実です。(この稿終了)

米国は報復テロを止めよ 2001年9月FSHISO

FSHISO 15209/15338 01/09/17 米国は報復テロを止めよ

●9月11日の惨劇
アメリカ合衆国東海岸の都市部を襲った9月11日の未曾有な惨劇は、人類の長い文明史の中でも新たな歴史的段階を象徴する重大な事件として永遠に人々の記憶に刻まれる事になるだろう。
だが、今の所多くの人々は、その出来事の余りの悲惨さと残虐性に目を奪われ、その歴史的事件の背景や原因を十分に斟酌する間もなく、テロ行為を実行した犯人達に対する憎しみの感情のみを増大させている。

ブッシュ大統領は事件の当日いち早く報復を宣言し、犯人達に対 して目には目歯には歯の武力行使の実現を叫んでいる。
9月11日の同時多発テロはもはやテロの範囲を超えて、一国対する戦争行為と見なされると宣言し、国家の諸機関に戦争準備の開始を命じている。他方、米国の世論も80%以上がブッシュ政権のこうした軍事報復行動を支持しているとされる。
米国上下院議会も武力行使を承認し、軍事予算の大幅増額を通過させた。
世界の先進国の主立った同盟国も、早々と米国の武力報復を支持し「協力」を誓っている。

こうして情勢は危険な戦争行為に歯止めが掛からない状態に突き進みつつある。
そこでは主立った政治指導者の間に、戦争への拡大を阻止して、更なる国民的惨劇の増大を少しでも防ごうという様な冷静で賢明な判断は全く欠如しており、勇ましい進軍ラッパを吹き鳴らし、戦争を煽る言動しか見られない。
ブッシュ大統領は、正義は自分たちの側にあり、凶悪な敵は懲罰を受けなければならない、と映画の活劇よろしく「勧善懲悪」のスローガンを叫んでいる。
しかしこれは何時の時代でも、為政者達の戦争挑発の言い古された常套句だ。
「自衛の為の戦争」「平和秩序の回復」を言うが、何時の時代の戦争も一方の当事者からその戦争目的をこのように語られなかった事があったろうか?

●事件の背景(1)湾岸戦争パレスチナ問題と米国の専横
ニューヨークの貿易センタービル等への突撃を敢行した四機の航空機乗取り犯は全員で数十人規模になるという。
この犯人達は十分な訓練と用意周到な計画を重ねると共に、初めから死を覚悟して飛行機に乗り込みそしてその決意を実行した。
それは怖らく米国捜査当局が言うように、一部の過激なイスラム原理主義者達の行動であろう。
しかし彼らの動機をきちんと分析しないで、十把一絡げで「犯罪者」「ならずもの」「テロリスト」等々のレッテルで括って、ただ彼らへの憎しみを増長するだけでは事件の本質を見誤る事になる。
それ程の規模の決死集団が、強盗団レベルの犯罪者の組織と同一の水準で作りえるだろうか、冷静に考えてみる必要がある。

米国は1991年の湾岸戦争に於いて、そのハイテク兵器を駆使した強力な軍事力をもってして、自分たちの兵力はほとんど損害を受けることなく、一方的にイラクの土地を蹂躙し、イラクの兵隊と市民を殺戮していった。
そして現在もイラク近くに進駐軍を駐留させ、空からの監視と爆撃を繰り返している。(この戦争の原因を作り出したのがフセイン政権のクウェート侵攻であったにしても、米軍の行動は自衛の範囲を遙かに逸脱してる。)
その圧倒的な軍事力、ハイテク兵器は、1999年のコソボ紛争でも遺憾なく発揮された。米国を中心とするNATO軍はほとんど反撃を受けることもなく、一方的に「敵」を追い詰め、瓦解させた。

米国はソ連の崩壊と冷戦終結と供に、いまや世界最強の帝国となり、世界に軍隊を展開し、意義を差し挟む勢力には「ならずもの」のレッテルを張って恫喝し、強力な軍事的ネットワークを張り巡らしている。
イスラエルシオニストパレスチナでやっている占領政策を強力にバックアップしているのも米国である。

米国は、世界の「正義と自由、民主主義」を守る盟主国として、独裁政権による人権抑圧、民族抑圧に反対し、時には「自由と民主主義を守る」為に他国の内政へ干渉も辞さない、という立場を取っている。それがイラクフセイン政権やユーゴのミロシェビッチ政権打倒の建前文句でもあった。
ところが、イスラエルやっている事は全く反対の行動である。イスラエルこそ他人の土地を勝手に占領し、そこの民衆の自由を奪い武力で抑圧している「ならずもの国家」の典型であるはずだが、米国はその矛盾の言辞には沈黙する。
これはダブルスタンダードと呼ばれているが、要するにそれはただ大国の御都合主義に過ぎない、という事は誰の目から見ても明らかであろう。

●事件の背景(2)富の偏在、貧困の蓄積
米国は今や世界中の富を集めて、繁栄の絶頂を誇っている。
米国国民一人当たりの消費エネルギーはアフリカ人500人分に相当する、という統計すらある。しかしこれすら米国ではヒスパニックや黒人層などの貧困階層を含む平均であるから、その白人上層への富の集中のすさまじさは想像を絶する。
まさに古代に於けるローマ帝国の再来といった勢いである。
米国が世界の後進諸国を直接武力で搾取しているとまでは言わないが(それは古いタイプの植民地主義ではない)、巨大な資本力をして市場を支配し、世界に散在する主要な資源と安価な労働力を集中して、米国への富の巨大な流れが形成されている事は明らかで、その対極に後進諸国の労働者・農民は這い出す事の出来ない絶対的貧困の中に喘いでいる。

イスラム教、あるいはイスラム原理主義の拡大もこうした世界史の流れの中にある。それは米国を始めとする西側文明が拡大発展すればするほど、一方に生み出される貧窮を地盤とする大きな対抗文化の勢力であって、彼らの言葉を借りて言えば「物質文化に対する精神文化の優位性」を主張する勢力である。

私は、無論ここでイスラム原理主義の信仰の教義の是非について詳しく論じるつもりはない。私自身は戦後生まれの日本人として欧米文化の価値観の影響を強く受けており、イスラムの教義に違和感を抱かざるを得ない。
だが、今はそうした事情は主要な問題ではない。
イスラム原理主義が大きな勢力となっている根底には、こうした「欧米文明」の伸張と横暴に対する対抗文化という事実関係があること、この事の相対的な認識が重要であり、一方の価値基準からの硬直した評価だけでは、出来事の冷静客観的な判断は出来ない。

いま、米国は今回の事件を邪悪な考えを持った一部の過激なテロリストの仕業として、「懲罰」を与える事の正当性を主張し、簡単につぶせるかの様な幻想を煽って、安易な軍事活動に乗り出そうとしている。
しかし一部のイスラム過激派とされる今回の犯人達は、広範なイスラム勢力の土壌を基礎としており、平和的イスラム勢力の中で鬼っ子であるにしても、単細胞な武力攻撃は全てのイスラム勢力を敵に回して、収拾のつかない悪無限的な世界戦争を引き起こす可能性がある(それは既に湾岸戦争での米軍の過剰な攻撃によって醸成され、イスラエルパレスチナ占領政策を擁護する事によって広範なアラブ人民を敵に回している)。

●米国の奢り、力ずくの政策
アメリカ合衆国はいまだかって諸外国との戦争で敗北した事がない(と米国自身は考えており、ベトナム戦争でも負けたと思っていない様だ)。
まして本土を直接攻撃された事件はあの日本軍による真珠湾攻撃以来であるそうだ。事実関係の是非はとも角、問題は、米国国民の多くが戦争の真の痛みを知らない事であり、あるいは知ろうともしていない事である。第二次大戦や朝鮮戦争ベトナム戦争等々、米国は数々の苛烈な戦争を経験してきたが、自分の家族や友人達を失った悲しみすっかり忘れてしまっている事だ。
そんなに簡単に忘れる事が出来たのは、戦争の代償として倍加して得られた米国の富と繁栄があるだろう。
こうした事実加えて、米国の軍隊は近年に至ってよりハイテク兵器を手に入れ湾岸戦争コソボ紛争等ではその圧倒的な軍事力を持って「完勝」を納めた。この事が常勝米国をしてより一層際限のない戦争の誘惑へ駆り立てている。

歴史的に見れば、日本もかっては明治維新以前の小国から、清国との戦争に勝ち、大国ロシアにも勝って驕り高ぶり、世界の超大国の一員として肩を並べたかの様な幻想を抱き、更なる戦争の拡大に突入していった。そして徹底的に壊滅的に負かされるまで軍部は過信した戦争を止めようとはしなかった。
あと数ヶ月早く日本の指導者が勇気を持って停戦(敗戦を認める事)に踏み切っていたら、日本人の戦争犠牲者は数十万人は少なく済んだと言われている。しかし国民に幾ら厖大な犠牲を強いても、政治指導者と軍隊の将校達は自己保身と延命に汲々として、責任の始末に手を付けようとはしなかった。
戦争指導者の連中とは何時でもこうしたものである。

愚かな行いは、その法則性が認識されるまで繰り返されるものである。自分が立ち上がれなくなるまで徹底的に打ちのめされない限りは、打ちのめされた側の痛み・悲惨を自分自身の痛み・悲惨として知ることはないだろう。
そう云う意味では、はっきり言って、今世界的規模での戦争が起きるとすれば、最も危険な国がその戦争の痛みを知らない米国であり、最も主要な戦争挑発国が米国となるだろう。
米国の指導者は自国の武力を過信し、抜きんでた生産力と技術力を過信し、反対に米国以外の外国の力を過小評価している。
勝てば官軍で、正義の旗は何時でも自分の側にあると思いこんでいる。
主立った国家の指導者層と将軍達は、自分が直接戦場にいる訳ではないから、彼らまでが殺される戦争を想定していない。だから、残酷な戦争で戦場が多くの一般兵士市民大衆の屍で埋め尽くされてもなお、国家指導者と将軍達の「勝利」と「敗北」のゲームは決着するまで延々と続けられるのである。

奢れる者久しからず(Pride goes before destruction)、という真理は歴史上明白だが、無益な戦争で殺されてからではその真理を悟っても遅い。いま足下で起きている歴史的事件の本質を見て取り、奢れる者に対して戒めを語らねばならない。

●事件の教訓
私は、こうした事件の背景を語ったが、無論その事で今回のイスラム原理主義者による無差別テロを容認するものではない。
それはより倍加した凄惨な報復テロを招き、より多くの民衆を巻き込んだ泥沼の戦争を引き起こす事になるだろうからである。
犯人達は逮捕され、然るべき国際法廷にて裁かれるべきであろう。
しかし、いま米国がやろうとしている事は、無法国家と同然の復讐劇であり、無差別な報復テロ合戦である。
それは国際テロ組織を撲滅して、今回の様な犯罪が二度と生じない様にするための未然の防止策である、と米国政府は強弁している。
私にはそのようには思えない。
ブッシュ大統領は、演説で「我々に刃向かう連中が如何に惨めな末路を辿るかを思い知らせなければならない、我々は一切容赦しない」と明言している。
一流の文明国の頂点にある一国の大統領がこんなやくざのごろつきみたいな発言を行って扇動される戦争の性格は推して知るべしである。
そうした報復活動は、今回のテロ活動の原因を何ら取り除くものではなく、悪戯にイスラム信徒、あるいはアラブ民衆を挑発し、怒りをかき立て、反抗勢力をより拡大するだけの結果となるだろう。

米国はハイテク兵器を背景とする巨大な軍備力に対する過信をそろそろ止めなければならない。
その様な技術は、当然何時かは「敵」の所有する所のものとなり、自らへの武力の行使としても使われる事になろう。
まさに大型飛行機と超高層ビルの激突が未曾有の惨禍を招く結果となった今回の事件が象徴する様に、ハイテク装備を如何に高度化しても、それを武器に、長く敵を制圧し支配し続ける事は不可能だ、と云う事を示唆している。
むしろそれは両刃となって、自らへの攻撃の武器に転嫁されるだろう。
米国が報復の連鎖を引き起こせば、国際テロリズムは今度は更に手段を選ばず原爆の開発や原子力発電所への襲撃、生物細菌兵器の使用すら躊躇しないだろう。
事態がこうした最終の悲劇的段階まで進んでいないのは、何も米国を筆頭とする先進諸国のテロ監視システムが有効に機能しているとか、更に力ずくのテロ封じ込め政策が成功しているからではない。
世界の諸政治勢力の亀裂がそこまで絶望的に深化していないだけの話である。
テロリストと呼ばれる人々がそこまで自暴自棄になるような絶望に追いつめられていないだけの話であって、非道な方法で彼らが追いつめられれば、その最後の一線も容易に踏み越えられるだろう。
その為の危険な武器は、幸か不幸か近代文明の産物として世界中に転がっている。

戦争から利益を引き出そうとする一部の邪悪な人たち、あるいは権勢を誇る事に無情の喜びを感じるサディズムの権力者達が声高に戦争を叫び立てるのは、彼らの「道理」にあっている。
しかしそれはあくまで彼らの「道理」であって、戦争に不本意に巻き込まれて死なねばならない多くの無力な一般大衆の「道理」ではない。
今回のテロ事件に巻き込まれて死んでいった多くの市民大衆は、そうした戦争挑発達の犠牲者であると言える。

ブッシュ大統領は、盛んに「我々は勝つ」「我々は勇敢な国だ」「我々の本土への攻撃で成功を納めた敵はいない」「敵は間もなく我々の強大さを思い知ることになるだろう」「ビルを揺るがしてもアメリカの土台を揺るがすことは出来ない」等々、と勇ましい文言を並べている。
戦争挑発者達のアジテーションは何時でもこうしたものである。
言葉に酔っている、そして国民大衆をも酔わせて戦争に人々を駆り立てる。
しかし、ブッシュ大統領が言うように、それ程にアメリカ合衆国が無敵を誇る強大な国家であったなら、どうしてたかだか数十人の突撃部隊で、数千人の死者を生む様な惨劇が可能になったのだろうか?
相手がどんな「弱小な」勢力でも、自らの側に大義があると確信し、本気で攻めてきたらそれを侮っている他方の勢力の被害は小さなものに済まないであろうという教訓を今回の事件は物語っている。

それは湾岸戦争以降、米国政府高官、将軍達の驕り高ぶった尊大な事実認識の誤りと失政が招いた惨禍だ。
しかし彼らは最後まで自らの誤りを認めようとはしない。
責任を取ろうとせず、もっぱら敵に対する憎悪を煽って、自らへの責任追及を国民の目から逸らそうとしている。この段階で失政、敗北を認めれば、彼らの失脚とその後の責任追及は免れないだろうからである。
自己保身をもっぱらとするこんな無責任な政治指導者、将軍達の下で戦争に突入すれば、その悲惨な結果は目に見えている。それは9月11日の惨禍の比ではなくなるだろう。

米国の政治指導者・将軍達は、ベトナムインドシナで犯した重大な誤り(戦争犯罪)を一度も正式に認めた事がない。歴史的教訓から学ばないなら、同じような過ちは何度でも繰り返されるだろう。
これ以上殺戮を拡大してはならない。
その為には、唯一の軍事超大国の米国は、これ以上戦争挑発を止めて自制的な行動をとらなければならない。巨大な軍備力を削減し、対等な立場で平和的に諸外国と対話しなければならない。
「力」による封じ込め政策が有効である、などという嘘と幻想をばらまくのはやめなければならない。

●日本の立場
さて最後に、日本の国民としての私の立場を語らねばならない。
日本は先の第二次世界大戦の敗戦国として、また唯一の原爆の被爆国として無惨な戦争を教訓化し、平和憲法を制定し、平和政策を護持して「軍隊を持たず」、国際紛争の解決手段としては。いかなる武力の威嚇、行使も行わない、と唱ってきた。

これらの事は何度も何度も繰り返し語られてきた。
八月が来るたびに、戦没慰霊碑に向かって「戦争による同じ過ちは繰り返えしません」と誓いの言葉が語られ、広島・長崎では「平和への敬虔な祈り」が何度も捧げられた。
しかし、これらの文句の実際はいまや空文句、寝空言となりつつある。

いざ米国が戦争を叫べば、日本の為政者達は頼まれる前から、まるで飼い慣らされた忠犬の様に尾っぽを振って、たちまち「支持」「協力」を訴え出る始末である。湾岸戦争の時がそうであり、今回もそうである。
なるほど平和憲法の「制約」の下で、あからさまな自衛隊の海外での軍事作戦は一定の歯止めがかかっているというものの、それ以外の「後方支援」に名を借りた実質の共同戦争行為はなし崩し的に進められている。
沖縄、横須賀、佐世保等は実質米軍の戦争最前線基地と化しており、日本の戦争に対する共同責任は明白だ。

日本の国民ももち論、今回の事件と無関係ではない。
日本の為政者達は、「世界の平和的秩序を守る」などという聞こえの良い口実を設けて米国の軍国主義者と共に戦争挑発行為に再び走り出そうとしている。
こうした日本の戦争挑発者達(小泉首相石原都知事等々)の行動を支持す
ることは、私たち一般市民も不可避に戦争に「巻き込まれる」。
「巻き込まれた」からといって「私は無関係な罪のない市民」という言い逃れは許されない。戦争を支持する限り、その結果に対する連帯責任は軍国主義者と共に取らされるのである。
現代の戦争は、武器を持つ兵隊とそれを持たない一般大衆との間に特別の垣根を設けたりはしない。頭の上から無差別に爆弾が降ってくると考えなければならない。

先の第二次大戦で日本は、米軍の無差別都市空爆で数十万もの無抵抗な市民大衆が殺された。つまり今回の事件で武器を持たない無力な市民への無差別テロを非難するその米国は、かっては、それを日本やドイツの本土で比較にならない規模で実践した経歴がある。
しかし、これは戦争の論理の当然の帰結でもある。

現代の国家間戦争は、中世・近代の時のような軍隊間の戦争では終わらず、必ず国民生産力をかけた総力戦となり、不可避に国民を巻き込む。長期戦になれば、「敵」に勝つためにはその戦力の源泉である国民の生産活動と労働力に打撃を加える事は当然である。だから一旦戦争が始まれば、「罪のない無関係な市民」的立場などというものは存在しなくなる。

湾岸戦争の時、多くの米国市民は平和な家庭の団らんの中にあってテレビゲームでもみるかの様な雰囲気で、逃げ回るイラク兵士への執拗なアメリカ軍の機関銃照射、ロケット砲撃等の戦闘行動を眺めていた。
もち論、この様な場面を嫌な気分を味わっていた良識のある市民も多かったと思うが、しかしこの場面を平然と眺めていた一般市民がいるなら、彼らも又当然この戦争行為に確かな責任がある。
「銃後の安全」などは存在しない。
今回のテロが無防備な米国本土を攻撃したという事で、日本軍による真珠湾攻撃以来の許すべからざる卑怯な急襲、暴挙として米国市民の怒りをかっているようだ。
しかし、怒りの中心がそこにあるとすれば、それは違う、と言わざるを得ない。
海外で戦争を行っている当事国が「国内」的には安全などという神話は通用しない。当然、自分の国も攻撃されるのである。武装勢力同士の戦争に武装を持たない無関係な市民を巻き込むのはけしからん、という論理が正当なら、第二次大戦の時の米軍による日本への無差別空爆・原爆投下を正当化する論理も成り立たなくなる。
敵に仕掛けた「論理」が「論理」として正しいなら、それは自分たちの身にも法則として適用されるだろう。
こうしてルールは破られ、結局、報復合戦は際限のない悲劇の連鎖を招く、という事実を悟らなければならない。

平和な時代に平和を語るのは簡単だ。戦争の時代にこそ平和を語る事が困難であり、その真価が問われている。
戦後50年引き継がれてきた日本人の平和主義がまやかしでないなら、今こそ平和を語り、戦争への誘導の様々な策謀に反対しなければならない。

今回の米国の報復テロ行動に対しては、日本が平和主義の立場を取る限り選択の余地はない。米国の報復軍事行動に反対し、いかなる協力もしない、日本の米軍基地からの直接の軍事出撃を許さない、日米安保条約(日米軍事同盟)を破棄して、米軍基地の撤去を要求する。
その上でテロを実行した犯人達は、国際法廷で裁かれるべきだ。
口先で平和を唱えるのではなく、実効性のある「平和」行動の中身が問われる時、いま日本の市民の一人一人にこれらの具体的課題が突きつけられている。
2001/9/17 TATEO