yamamba’s diary

日朝国交正常化なくして、拉致問題の解決はなし

「吉田清治の詐話」の正体は、実は【秦郁彦の詐話】だった(BLOGOS 2014年8月コメント)

https://blogos.com/article/92072/forum/

「猪野享 従軍慰安婦問題 朝日の訂正記事に小躍りする右翼勢力の醜態へのコメント」

◆2014年08月09日 19:19
吉田証言「虚偽説」を辿っていくと、その情報の発信源(インターネットで「ググる」とその行き着く先の元ネタ)は、ほとんどたった一人の証言に行き着きます。「歴史学者」で知られる、秦郁彦氏の「研究調査」ですね。
(この歴史学者の証言は、『昭和史の謎を追う』(下巻)1993年に発表され、それに例のごとく産経新聞(!!)が飛びついて一躍ニュースとなり、次に「権威ある研究書」の決定版として1999年の著書『慰安婦と戦場の性』が上梓される事になります。)

このセンセの話が繰り返し、インターネットでコピペされ、使い回され、流通して、いつの間にか「常識化」し、【吉田清治は稀代の大嘘つき】という都市伝説が定着しました。 (もち論、このプロパンダ戦で産経新聞も大きな仕事を果たしました。)

その勢いに負けて、一部の左派の権威ある専門家のセンセ達すら、「吉田証言は採用できない」などと言い出す始末で、とうとう今回は朝日新聞までが、「吉田清治は稀代の大嘘つき」→「その証言を肯定し続けた朝日新聞は大嘘つき」キャンペーンの政治圧力に屈服して白旗を掲げ、秦郁彦説に軍配を上げる事態にまで至りました。

 

 しかし本当にそうなのでしょうか? 私は、「吉田清治の詐話」どころか、むしろ【秦郁彦の詐話】こそがこの虚言ドラマの最大のソースではないか、と睨んでいるわけです。
つまり、もし秦郁彦の方がウソをついていて、「吉田清治の詐話」が創作されたとすると、我々はそれを一体どうやって「科学的に証明」する事ができるか、という大きな謎解き問題に突き当たります。

 

 ◆2014年08月09日 19:32

彼(秦郁彦氏)は上記の著書の「第七章、吉田清治の詐話」の最初の所でこんな事を言ってます。

1、済州島
>日本軍が犯したとされる戦争犯罪がマスコミで取り上げられと、必ずと言ってよいぐらい元日本兵の「ザンゲ屋」ないしは「詐話師」が登場する。(中略)
>有名な南京虐殺事件でも、この種の人物が何人か登場したが、私はその一人とニューヨークで同宿したことがある。中国系アメリカ人組織のシンポジウムに出席したときのことだが、会場で虐殺、強姦などの体験を涙ながらに告白し、土下座までして見せた。ところがホテルに帰ると私に「カン・ビールを買ってこい」と命じ、モロ肌脱ぎになって飲みながら、「強姦した姑娘(クーニャン)の味が忘れられんなあ」と舌なめずりをしたものである。

>同類の「詐話師」に何度か振り回された経験をつんで、私は疑ぐり深くなっていたのかも知れない。」(『慰安婦と戦場の性』新潮社p229) 

 つまり、秦郁彦氏は、この後、吉田清治氏の証言の裏を取るためにわざわざ高い旅費をかけて、「済州島の調査」に向かうのですが、すでにそれ以前から、秦氏の認識では、吉田清治は(南京大虐殺を証言した元日本兵と同様に)「ザンゲ屋」「詐話師」「ろくでもない人間」、「大嘘つき」「偽善者」「やくざな人間」に違いないという「疑ぐり深い」認識を持ち、先入観をもって、調査活動に赴いていた可能性が高い。


しかし果たして、そんな「予断と偏見」を持った人が、「学者・研究者」らしい客観的で正しい、科学的調査など行うことなど出来るのでしょうか? 最初から、「吉田清治済州島での慰安婦狩りの証言は捏造に違いない」という結論ありきの「調査」ではなかったのでしょうか?

私には、秦郁彦氏は、科学者らしく「純粋に客観的な真実」を知るために済州島に行ったのではなく、最初から「吉田清治のウソ」の証拠集めに行っただけ、のように映ります。 そうすれば当然、村内を二、三カ所歩けばたちまち「そんな事実は聞いていないし、見ていない」という村人の証言は簡単に得られることでしょう。(笑

 そもそも彼が歴史学者ならば、済州島が戦前の日本の植民地時代以上に戦後苦難を経験し、とんでもない悲劇(朝鮮戦争後の大虐殺事件・いわゆる4・3事件)の島で、元々の住民が一体どれほど昔のまま同じ場所に住民として暮らしているのか・・を疑問とし、その条件を考察した形跡すらありません。

この著書では、この後に、とても学者の「学術書」とは思えない「電話取材での小話」が沢山でてきて、「やっぱり吉田清治は嘘吐きらしい」という「沢山の証明」がなされています。(笑)


その話はもうインターネットを駆け回っている定番のバカバカしい話ばかりなので一々ここで取り上げませんが(例えば大学を中途退学しているのに卒業したと言っているとか、結婚の年月が1年ずれているとか・・)、しかしそれよりも重大な問題は、その4回の電話取材から引用されている秦センセの話そのものが、ホントなのかどうかすら、何の裏付け・証拠もないという事です。(どこかに吉田清治電話取材のテープのような客観的証拠が公開されているのでしょうか?)

 つまり、秦センセが最初から「電話取材の内容」をでっち上げていたら、「吉田清治氏の記憶の矛盾の証明」という事自体が、秦センセの自作自演という事になってしまいます。

最初の話を思い出してみて下さい。 そもそも、上記の秦郁彦氏の話、「ニューヨークのシンポジウムの夜のホテルでの話」(醜悪な元日本兵の立ち振る舞い)が「ホントの話」なのかどうか、我々は一体どうやって確かめたらよいのでしょう? ひょっとしたら単なる秦郁彦氏の記憶違いかも知れないし、初めから「ザンゲ屋の元日本兵」を快く思っていなかった秦郁彦氏が、そういう「謝罪運動」(?)の品位を落とし込める目的で、話を捏造したか大袈裟に膨らましているか、の可能性だって捨てきれませんね。 幾ら高名な学者センセと言えども、自分の「予断と偏見」をあからさまに表明している程度のお人ですから、これらの疑問は余りに当然のことです。 さて、皆さんどうお考えになりますか?

 

◆2014年08月09日 21:09

*****2000さん

>>秦センセが最初から「電話取材の内容」をでっち上げていたら、「吉田清治氏の記憶の矛盾の証明」という事自体が、秦センセの自作自演という事になります。

>というあなたの私見はわかったw

 どうも私の「私見」を的確に評価して戴き、有り難う御座います。
そう、吉田清治の詐話」は、「秦郁彦の詐話」そのものであるという説は、誰も主張していない、全くの私の「私見」、及び「仮説」です。
なにせ、秦郁彦氏のブランド力は大したものですよ。彼は左派と右派の中間にいて、あちらに「南京大虐殺はあった」と言ったと思ったら、こちらには「南京大虐殺は無かった」と言い、結局、両方の陣営から中立(日本ではこれが「科学的立場」と解されます)の歴史学者として、「高く評価」されています。
多分、そういうブランド力で、従軍慰安婦問題の最大の権威の吉見センセも朝日新聞も、彼に騙された可能性がありますね。(笑

 

ついでの、もう一つ、重大な点での私の「私見」「仮説」を言っておきます。
秦郁彦の詐話」のもう一つの大きな柱は、吉田清治氏自身が、「自分の虚言を認めた」という「証言」です。これは秦郁彦氏の著書の中やインタビューの中で繰り返し出てくる論点です。 (そしてこれが又、秦郁彦氏自身の証言の「正しさ」を証明している材料に使われています。 これまた自作自演が濃厚w)

吉見先生も、本人が作り話と認めたとすれば、そりゃどうしようもないと撤退(吉田証言を従軍慰安婦の強制連行証明の証拠として採用しない)を決めるのも無理からぬことかも知れません。

 秦郁彦氏の著書にはこういう書いてあります。

>98年9月2日、私は吉田へ電話で、「吉田の著書は小説だった」という声明を出したらどうか、とすすめたが「人権屋に利用された私が悪かった」と述べたものの、「私にもプライドはあるし、85歳にもなって今さら・・・このままにしておきましょう」との返事だった。

(『慰安婦と戦場の性』新潮社P246)

これが、吉田氏が自分の虚言を認めた「証拠」にされているわけです。
しかし、この「証言」は、電話先の吉田清治氏本人の証言なのでしょうか、それとも電話主の秦郁彦氏の「解釈」なのでしょうか? 仮に、吉田清治氏が電話口で「正確にそう述べた」と仮定しても、どういう意味なのか(それは自分の虚言を認めた意味なのか?)はそれ自体の言葉として客観的に不明です。
ただ明らかなのは、秦郁彦氏が一連の吉田氏の証言を、【小説】という結論に【誘導】したがっているという事実です。 これは、今はやりの振り込め詐欺の手口によく似ていますね。(笑

 

◆2014年08月09日 23:18

*******さん、
>”吉見義明も吉田本人から創作を交えたことを聞いたため、吉田証言は資料としては用いることができないと確認した”とか知らないのか

その話は知っていますけど、関係者に迷惑を掛けない為に、写真をぼかすとか、本名を伏すとか、年月日を入れ替えるとかは、テレビのドキュメンタリー番組では普通のやっている手法です。 「創作を交えた」という言葉は、秦郁彦氏の著作にある言葉で、吉見義明氏の著作にはなかったと記憶しております。(前記した様に、吉見氏が秦氏の言葉を真に受けたとすれば別ですけど。)

従軍慰安婦」を巡る30のウソと真実』(大月書店)p26-27

>そこで私たちは、1993年5月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するように勧めた。また誇張された部分があれば、訂正すべきだとも申し入れた。(中略) これに対して、吉田さんは、「日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。 そこで、私たちは吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。

◆2014年08月10日 07:58

 tak_livedさん
>上記が、大まかなこれまでの経緯です。

しっかし、あなたも物わかりの悪いお人ですなあ。 だ か ら、あなたが言っている事は、秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』に全部書いてある事なのです。
あなたが実際にその本(新潮選書)を読んで喋っているかどうか知りませんけど、要するにその秦郁彦氏の記述--秦郁彦氏が作り上げたストーリー(小説の類)--をそのまんま、あなたが再現コピペしているだけなんですよ。インターネットで「ググ」れば、一瞬に出てくるお話なのです。(笑

吉田清治氏の著作と、秦郁彦氏の著作を直に比較検討して、自分の頭で読みこんで、どちらが本当の事を言っているか判断する必要があるのです。幾ら、秦郁彦氏が作り上げた「吉田清治の証言」を読んでも、そこから真実は浮かび上がってきません。何せ、その証言自体が(特に電話取材の内容)秦郁彦氏が加工した自作自演の疑いがあるのですから。彼が一連の歴史認識の問題で、自身の政治的イデオロギーから、「予断と偏見」を持っていることは、私が上記で引用した「ニューヨークでのシンポジウムの夜のホテルの話」で、よ~く分かりますね。

>秦郁彦氏は、こうした当時の韓国側の(現地の)証言を知り、「吉田の証言は嘘なのではないか?」という疑念を抱き、その後に自ら「済州島に向かい現地調査を行った」のが1992年です。

「韓国側の(現地の)証言を知」ってから、済州島での現地調査に行ったのではなく、現地に行ってから思わぬ拾いもの(「済州新聞」の許栄善記者の記事)したのです。

「韓国の郷土史家の金奉玉氏」の証言も、その新聞記事に出てくる内容ですね。
つまり、秦郁彦氏の「発見」は、又聞きのその又聞きなのです。それが、いつの間にか「吉田証言虚偽説」の「決定的証拠」になって一人歩きしているのです。

 

◆2014年08月10日 08:14

tak_livedさん

>吉田証言について、同じレフトサイドの朝日新聞すら説得できないような妄想理論を語って「秦郁彦の詐話だ!」といくら息巻いても、まともな一般人を説得する事などできませんよ。

それはご尤もな意見ですね。しかしこの朝日新聞の「再検証」記事にしても、実は「秦郁彦の詐話」という構造が分からないと、普通の人が読んでも俄に真偽を判別するのは難しいのです。 今回の朝日新聞が、「吉田清治の証言」を全面否定するに至った根拠として挙げているのは、次の8点(正確には7点)ですね。

 (1)今年4~5月に、朝日新聞自身が、済州島内で再調査を行い「70代後半から90代の計約40人」の聞き取りをした、そこで「強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった」こと。

(2)干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。

(3)「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

(4)93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

(5)吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。

(6)吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している

(7)戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

(8)吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。

 さて、この中の論点で、(4.)と(5.)と(6.)の三つは既に昔から何度も引用されている事で--それこそインターネット上のコピペ--、別に朝日新聞の今回の「再調査の新発見」でもなんでもありませんね。

それから(1.)と(3.)も、従来の「調査にも関わらず、現地住民の目撃証言が得られなかった」という説の繰り返しです。 これについては、上杉聡氏らが言っている様に「現地の住民が不名誉な事実関係を喋りたがらないのではないか」とか、あるいは「何かの事情で箝口令が引かれているのでないか」という「憶測」も一つの説明ですが、こちらも「反証」としては根拠が弱い。

 この事情については、私の上記の記事でも若干触れましたが、やはり、植民地時代からの住民の大規模かつ頻繁な移動(日本への出稼ぎ移民等)、朝鮮戦争での大混乱、四・三事件(島民の大虐殺)などが原因していて、当時のそんな仔細な事件を細部にわたって記憶する住民が実際に存在しなくても不思議ではないのではないか?という説を考えています。

非人道的な事件などが全く珍しくない地域の歴史を考えれば(例えばパレスチナの住民の様に)、住民が一々、何年何月何日に此れ此れ然々の残虐事件があったなどという事を覚えていなくても、別に驚くべきことではない。205人もの若い女性が一度期に誘拐されて姿を消したとなれば、それは確かに、日本の瀬戸内海に浮かぶ小豆島みたいな平和で牧歌的な島なら、史上最大の「大事件」という話になるでしょうが・・・。

いずれにしても、何度も現地調査を行っている学者センセ(秦郁彦氏)や今回の「朝日新聞の調査」のように、その辺の複雑な済州島の事情についてどう考慮して調査に当たったのか、何の注釈もない方が不思議です。 従って、「住民の目撃証言」が得られなかったという結果を持って、直ちにその事実関係が「無かった」というのは、科学的な結論とは言えないのです。

 ◆2014年08月10日 09:31

かくして、今回、朝日新聞が「新しく」付け加えた(少なくとも私が知る限り)論点は
(3.)かやぶき屋根は、「トタンぶきとかわらぶき屋根だった」(笑
(7.)外村大・東京大准教授の「証言」(→軍が動員命令を出すことはない」)
(8.)永井和・京都大教授の「証言」(→当時済州島では軍政はひかれていない」
・・・という「3点」に絞られます。

朝日新聞は、この「訂正記事」の中で、済州島の当時の工場の屋根は「トタンぶきとかわらぶき」であって「かやぶき」屋根ではなかった、という様な大学教授の証言をもって、「吉田証言は虚偽」などと決め付けていますが、(その程度の事が証拠になるのであれば)例えば、彼が山口県直轄の行政組織である労務報国会の下関支部に所属し、そこの職員として朝鮮人労務者徴用などの仕事に当たっていた事、また済州島での慰安婦徴発以外にも、1944年4月に、下関市大坪で慰安婦100名の徴用(皇軍慰問名目)活動を行っていた事、などの重要証言(1977年『朝鮮人慰安婦と日本人』新人物往来社刊)もあります。これらの証言も全部ウソという事できちんと検証がなされたのでしょうか?少なくとも、「トタン葺き屋根か茅葺き屋根」かの論点以上に重大な問題と思われますけど・・。(笑

  ◆2014年08月11日 23:26

また、朝日新聞は今回の記事で、「権威ある大学教授」の証言を引き出して、これまた「吉田証言のウソ」を「証明」していますけど、ホントでしょうか?

>戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

大学教授がこんな事を仰っていますが、吉田氏自身はすでに1977年の時点でそういう「誤解」を予測したように次のように証言しているのです。

>「昭和18年 下関には砲兵連隊があり、連隊名が西部軍第74部隊と変わって、軍は民政にも関与するようになり、行政機関や各種団体に対して直接命令を出すことが多くなった。私は軍の労務動員の命令受領の為、74部隊への出頭を命じられた。」(上記『朝鮮人慰安婦と日本人』p79)

戦争が過熱化して、日本全体が既に軍政下に置かれたような末期状態の中で、こうした超法規的な状況は当時の常識であるにも関わらず、大学の教授ほどの人がこういうウソ証言を「シラ~」と言い、それをまともな証言と受け入れる朝日新聞の知能はどうなっているのでしょうか?

 

 *後日記:2019/7/15

上記で議論されている、2014年8月の朝日新聞検証記事で「重要な証拠」の一つとされた【外村大・東京大准教授の証言】に関しては、後日出版された、今田真人著『極秘公文書と慰安婦強制連行 外交史料館等からの発見資料』(2018年2月刊、三一書房)によって完璧に論駁されている。(逆に言うと、吉田清治証言の正しさが改めて実証的に確認された。)

https://www.amazon.co.jp/本-今田真人/s?ie=UTF8&page=1&rh=n%3A465392%2Cp_27%3A今田真人

今田真人氏のホームページ
http://masato555.justhpbs.jp/newpage165.html
外村大・東大教授への反論のページ

http://www.sumquick.com/tonomura/外村大研究室
http://www.sumquick.com/tonomura/note/pdf/180413.pdf

1「吉田清治証言」の再検証―史実との相違、語りの背景、失敗の教訓

>3、労務報国会と朝鮮半島からの労務動員では、労務報国会は、朝鮮半島からの労働者の動員の業務を何か担当していたのであろうか。
>この点について、筆者は、無関係であると考えていた。しかし、今田真人は、思想国策協会『決戦下の国民運動』1944年に、「〔大日本労務報国会の理事会において〕外地労務の移入斡旋を労報〔労務報国会〕が担当することになった」との記述があることを発見した(今田真人『極秘文書と慰安婦強制連行外交史料館等からの発見資料』三一書房、2018年、36頁)。筆者も実際にそれを閲覧し、その記述があることを確認している。労務報国会が朝鮮半島からの労働者の動員に関りを持っていたことはこの記述から確実であり、これまでの筆者の認識は誤りであった。2014年8月5日の朝日新聞記事での筆者のコメントで、労務報国会の職員が朝鮮に赴くことはないとした点も間違いである。

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